2013年11月17日日曜日

東病棟

  お向かいの彼女のやっとの思いがかなって、私と同じ主治医の先生が首を縦に振ってくれて、彼女が退院した後、先生が私の所にやって来て、言い辛そうに、湾曲に言ったのです。
  「胆嚢を写したMRIで、偶然にも副腎に腫瘍があるのが見つかってしまったんです。内分泌内科の先生のところに行って、話を聞いて来て下さい。」
  腫瘍と聞いて、さすがの私にも緊張感が走りました。今は癌でも治るらしいとは聞いているのですが、副腎というのはホルモンを出す器官で、そこを傷つけたらどうなるのだろうかと、そんな知識が頭をよぎりました。
  私が行かされたのは内分泌内科の部長先生のところでした。その地位になるとあまり外来の患者さんは見ないで、私のような突発的な患者さんを見る事が多いようです。先生は副腎に腫瘍が見つかったという事以外、あまり病気の説明はしないで、検査の日程ばかり気にしていました。その中で一言、「25日に手術を受けるなら、開腹した時に一緒にとってしまう事が出来るかも知れない」と言ったのです。「本当ですか」と私も聞き返しました。開腹手術を二度もやるのは大変な事です。その点では先生も私も意見が一致したのです。「じゃあ、お願いします」と私も言ってしまいました。
  先生は重大そうな検査の日程を先に決めて、その後、主治医の先生に電話をし、「東病棟に移ってもらうから」と言いました。さすがの私もふらふらして、退室するときは意気消沈していました。でも、お任せするしか無いのでしょう。
  私は六十四歳と五ヶ月です。まだ年金は正式に受給年齢に達していないのです。みんなこうして年金をもらう歳になると病気になって貰わないで死んでしまうのかしらと思いました。口惜しい気持ちです。
  それに加えて実は東病棟は、数年前に父が一ヶ月ほど入院して亡くなったところでした。翌日に東病棟に移動して、これはどんな運命なんだろうと考え込んでしまいました。
  その日の午後に、新しく主治医となった若い先生が面談をしてパンフレットを示しながら、私の副腎腫瘍の説明をしてくれました。「腫瘍は左に大きいのが、右に小さいのがあります」。「ええ、両方ですか」と、私。『初耳だよ』と思いました。
  次に検査の説明です。最初の一週間は尿を貯めておいてする検査、その間に副腎のMRI。次にステロイド剤を飲んで、副腎がそのステロイド剤を感知してホルモンを出すのを抑えられるかどうか、ちゃんと機能していれば、身体に余分にあるのを感知して、一定量に保つ為に出さないのだそうです。つまりホルモン過多にはならないんだそうです。
  そして最後は部長先生が張り切って予約を取っていた時間のかかる検査でした。それは放射性物質を注射して、一週間後にそれが左右どちらの副腎に集まっているかを見るのだそうです。放射性物質は発光するので、集まっているのが判るし、大きくても小さくても集まっている方が悪性なのだそうです。「放射性物質ですから、ヨーソ剤を一緒に飲んで頂きます。」と、若い先生はこともなげに言いました。
  本当にその時初めて聞いたのです、悪名高き、ステロイド剤や放射能を身体に入れるなんて。ましてや原発事故の後で配られたと言うヨーソ剤を飲むなんて。
 次に手術の説明でした。手術は腫瘍をとるのではなく、副腎をとるのだそうです。また『ええ』です。先生は副腎は二つあるので、片方をとっても機能は衰えないと言いました。でも、腫瘍が二つあるなら、仮に大きい方をとってしまって、今度は小さい方もとなったら、ホルモンが出なくなってしまうのではないかと思いました。しかも、胆石と同じ先生が執刀するのではなく、別の泌尿器科の先生が執刀するのだそうです。また、『聞いてないよ』です。
  その晩、先生から、パンフレットをお借りして、読みました。そのパンフレットには内視鏡手術も可能と書いてありましたので、先生に聞きましたら、まだそこまで信頼できないのだと言っていました。
  やっぱりこんなときは死んだ人に頼ってしまいますよね。『お父さんどうしよう』と何度も聞きました。父は何とも答えてくれませんでしたが、翌日来た娘が、インターネットで調べたのだと言って持って来た知らせは、『副腎腫瘍はほとんどが良性』というものでした。お医者さんは『良性でも腫瘍はとる』というのが原則だと聞いた事がありましたが、『ほとんどが良性』なんて、言ってくれませんでした。今は癌ならば血液検査でも判ると言われています。血液は何度もとって調べているはずです。ホルモン過多の症状と言われるものも今まで感じた事はありません。
  その晩、決心して若い先生を訪ね、「手術はしない事にしたい」とお願いしました。部長先生と板挟みになる若い先生は困惑したようでしたが、『今回初めて説明を聞いたのだ』と言うと、「僕がもっと早くに説明にいけばよかったですね」と言って理解を示してくれました。それで、検査はステロイド剤までとして、放射性物質の検査はキャンセルしてもらいました。
 担当の看護師さんは、落ち込み加減の私に『やりたくない事はやりたくないとはっきり言っていいのよ』とエールを送ってくれましたが、泌尿器科や外科と連絡を付けてくれていた部長先生には娘も一緒に散々に怒られてしまいました。
  その夜、また父の事を考えました。わが家は癌家系ではないので、父も母も老後は認知症になりました。認知症の大変さを見せてもらった私は、『癌で死ぬか、認知症で死ぬか、どちらかだよ』と父に言われたような気がしました。癌は恐ろしいと言われていますが、死ぬのは同じなのです。むしろ、家族に迷惑をかける率が少ないのではないかとさえ思いました。
  その病棟は内分泌内科ですから。他の二人の患者さんは糖尿病の患者さんでした。先生方も一緒になって、一生懸命血糖値のコントロールを試みていましたが、なかなか難しそうでした。父も糖尿病でしたが、ホルモン等の代謝はなかなか人がコントロールできないのです。