2018年3月30日金曜日

確実なものはない

 日本列島で、次々に桜が開花して満開前線が北上中です。この満開前線もちょっとした気温や湿度や風向きによって微妙に変わっていくのです。いろんな要素が絡んで、天気が時々刻々と変わっていくのは、天気予報でもわかります。昨日、晴れと言われていたので、身内に晴れだよと伝えて、朝の天気予報を見ると雨に変わっているなんて言う経験は何度もありました。その要素がどこにどう絡んでいくかなんて天気予報士さんでも予測不可能なんでしょうね。地形もあるでしょうし、太陽からの熱もあるでしょうし、落ちた氷塊の流れる先によっても温度が微妙に変わり、風が起こり、PМ2・5の流れる先が変わるともやがかかって太陽が遮られと、私たちが生きている間、一瞬たりとも同じときはないのでしょう。
 こういう予測不能なことって体の中にもあるんだなってことを、この頃発見しました。ちょっと長く歩くと腰痛が起きると、この間書きましたが、その腰痛、翌日ではなく、翌々日に起こるのです。どこでどう発生しているのかわかりませんが、確か、子供のころの運動の後の筋肉痛も翌々日だったような気がします。
 それと、体の中の筋肉もあちこちにつながっているのですよね。この間ツボの本を見ましたが、目の治療には手から足まで押さないといけないのです。確かに、首を回すと、腰が痛くなることもありますから、つながっていて、筋肉の発達具合とかによっても予測不能なんでしょうね。
 あとは便秘、いくら野菜を食べても、ヨーグルトを食べても、頑として出ないくせに、夢中でコンピューターをしていて、忙しい時にトイレに行けと命令が来るのです。どこでどうつながっているのでしょう。腸内細菌さんのお仕事は全く予測不能です。
 これが経済となったら、全く予測不能です。黒田総裁はある程度計算して予測できているのでしょうね。
 社会も、こんなに世の中とつながりを持たないで生きているつもりの私でも、夫が動けば、それがどこかでつながっていて、いつも何かが起こるのです。
 若いころ、生意気に、世の中に確実なものはないとうそぶいたことがありましたが、あの時はそれが、こういうことだったんだとは思いもしませんでした。ある程度は自分の思い通りに行くもんだと思っていたんですが、そんなことはありませんでした。よっぽど自分をしっかりと持っていないと予測不能なことに直面して慌てふためいている間に人生が終わってしまう感じです。
 これからはしっかりしていないと。