2012年11月9日金曜日

紫蘇の実採りをしていて考えたこと 

 今年の夏は暑くって、九月いっぱいまで汗だくでしたから、まだまだ大丈夫と思っていたら、十月に入って一週間もすると秋本番になってしまいました。
  最後はいつも後悔するのです、穂の先に花がまだあるうちに摘んで塩漬けにしておけば良かったと。秋の庭の整理で忙しいのでちらっと見ては『まだ大丈夫、まだ大丈夫』と少しずつ摘んで漬けては食べていたのです。その頃はまだ香りも強くおいしかったのです。それが「あれよあれよ」という間に堅くなって香りも無くなり、食べてもぼそぼそとしかしなくなってしまいました。
 毎年最後はそうなのですが、それでも昨年は最後まで摘んで漬けて冷凍しておいて、つい最近まで食べていました。昨年はニンニク生姜しょうゆ漬けだったので、固くてもなんとか食べられたのですが、今年は塩漬けだけにしたのでもうダメでした。猛暑のせいで昨年の半分くらいしか成長しませんでしたが、そのまた半分を実のついたまま処分しました。
  この紫蘇の実、ほとんど野生のように育つのです。若い頃は葉も食べられますし、実がなり始めると塩漬けにして、ふりかけのようにご飯にかけて食べられます。お隣のご主人に昨年はニンニク生姜しょうゆ漬けを教わりました。
 私はこの食べ方を田舎で母がしているのを見よう見まねで、かつ、うろ覚えで作りました。なので、私のは摘んで塩で揉むだけの一夜漬けでしたが、あとで聞いたところでは重しをして一冬の保存食として作っていたようです。それをおむすびに着けて田んぼ仕事の昼ご飯に持って行っていたのを子供心に覚えています。
  こういう食べ物の知恵や知識って、きちんと継承しないと伝わらないものだとこの頃つとに思います。わが家でも娘に作ってあげると喜びますが、作り方については娘たちは聞く耳を持たないのです。『いつか聞きたいと思ったときにはもういないよ』と心の中で叫んでいます。時間も限られていますから、何でもとは思いませんが、身近にある材料のレシピくらい教えてあげたいと思いますよね。
  でも、無理強いすると摩擦が起きますからしません。実を言えば、私も聞く耳を持たなかったので、両親から何も継承しなかったのです。梅干しの作り方、実家独自の餅のつき方,たくあんの漬け方。なかなか思うような結果になりませんが、この頃は必要とするものは時々ネットのレシピサイトを見ながらやってみています。
  ネットはいいですね。みんながそれぞれ、教えてあげたい、書き残したいと思うレシピを書いておいて、必要とする人が辿って来る。これなら摩擦の起こりようがありません。こうして、人間は今や顔を合わさなくっても学習ができるようになりました。これだといじめも摩擦も起こりようがありません。
  生涯学習財団の理事長をしていた松田妙子さんが言っていました、『学習と教育は全く違うものだ』と。今や学習には集団生活は必要ないのではないのでしょうか。これは私の持論ですが、学習はもっと機械を活用して、一人一人に適した道を見つけてあげる。学校は教育の方に重点を置いて、社会活動の基本、スポーツ、道徳、友情、集団の中で自分を確立して行く方法等などを指導する。これだけ機器も発達して来ているのですから、ゆとりの教育ではなくても、大人に成長して行く人として必要なことは教えられるはずのような気がします。また教えなければならないと思います。
  対人恐怖症ぎみの私が言うのもおこがましいのですが、いじめのニュース、家庭内暴力のニュースを聞くたびに、『そんなに密着しないで離れていた方が、少しだけでも冷静になれるのに』と思うのです。話が思わぬ方に行ってしまいましたが。