2012年11月30日金曜日

『離れ瞽女おりん』を見て思ったこと 

 水上勉さんの原作があるらしいのですが、私は映画で見たのです。
  配役は誰だったでしょうか。今調べてみたら、岩下志摩さんと原田芳雄さんで、監督は篠田正浩さんだったようです。いろいろな映画賞の主演女優賞を総なめにしたと書いてありましたが、配役で覚えていたのは樹木希林さんだけでした。
  でもいいんですよね、覚えてなくっても。大事なのはおりんの一生の物語であって、女優の岩下志摩さんではないのですから。むしろ、女優さんが全面に出ないほど,岩下志摩さんがおりんにとけ込んでいたということなのでしょう。これぞ主演女優賞の面目躍如と言うところでしょうか。
  で、何を思ったかと言うと、目の見えない人のどうしようもない弱さです。誰かの助け無しには生きられないのです。特に何の福祉も整っていないあの時代には、身を捨ててでも誰かにすがらなければ食べるものも手に入れられない。男が「菩薩さまだ」と言ったように、人を疑ったり、嫌ったりしたら、まさに死に繋がってしまうのです。人は無条件で愛し、信じるしか無い、『菩薩さま』でなければ生き残れないのです。
  これ以上は、書くのが難しい。見たくないような世界、味わいたくない苦しさなのです。この頃、歳のせいか、見たくない映画とか、読みたくないストーリイとかがつとに多くなりました。
  でも最後、生きている間は行く当ての無い旅を続けるしかないひとりぼっちのおりんの行路の果て、海を臨む崖の上に赤い布、たぶん腰巻きだったと思いますが、木に引っかかってひらひらとなびいていたのを誰かが見つけたときは、涙とともにホッとしました。やっと安らかになれたんだと。
  このカタルシスを水上勉さんは読者の心に呼び起こしたかったのだろうと思います。
  人の一生は一度きりです。みんなが幸せであるように、かといって、何もできるわけではありませんが、せめて誰にでもやさしくするように努力しなければならないんだとこの歳になって分かりました。
  そう言えば、この間、夫の付き添いで行った大学病院の掲示板に、県が路上生活の人たちや低所得の人たちの医療費を無料にしたり、軽減したりするという張り紙を見つけて、うれしくなりました。何もできない私ですが、わずかでも私の支払っている健康保険料がそういうところに使われたら、こんなうれしいことはありません。これからもできるだけ病院には行かないようにして、少しでもそちらに回れるように努力したいと思いました。というか、元々病院も好きではないのですが。というか、お医者さんとの交渉が苦手なのです。仕方のない時はしますが、わざわざしたくはないのです。何せ対人恐怖症ですから。