物忘れ
この頃、あまりにも多くって、我ながらショックでした。
週四回ほど通っているトレーニングルームの電磁治療器のところで、いつものように最後の十数分をゆっくりと過ごしていた時のことです。
隣の席にいつもとは毛色の変わった二人が座ったと思いきや、二人ともすぐにスマホを出して熱心に調べていました。
男性のほうが、「どんどん下がっている、もう駄目だな」と何度か繰り返しました。
隣に座った女性が、「もう何年も前からわかっていたことなのよ、こうなることは」と言いました。
「そうだよ、アベノミクスの前、派遣が正式に認められたころからおかしくなりだしたんだ」と男性。経済に疎い私ですが、派遣で労働調整をするという働きづらい世の中には憤っていた時期がありました。
「あの御手洗がやったのよ」と女性。
「え、そうなんですか」と私。私にはその名前は初めてでした。「私は、政府の高官をしていたあの人」と、ここで名前が出てきません。あれほど世間で悪者にされていた『あの人』の名前が出てこないのです。「『あの人』です、派遣会社の会長になった『あの人』がやったんじゃないんですか」と訴えるように言うと、男性が、「竹中平蔵」と助け船を出してくれました。
そうなんです。竹中工務店と長谷川平蔵を足した名前だと覚えていたのですが、全く出てきませんでした。
「ちがうちがう、御手洗だよ、経団連の会長をしていた」
「そうなんですか」
お二人は下がった株価の将来を声高に嘆いていらっしゃいましたが、経済音痴の私には、そんなことは大したことではありませんでした。それよりもブログにも憤りながら書いた『竹中平蔵』氏の名前を忘れてしまったことのほうがもっともっとショックでした。
ちなみに、あとでコンピューターで調べたお二人の経歴です。
御手洗富士夫、キャノン会長、経団連会長2006年
竹中平蔵、パソナ会長、2005,小泉内閣