2024年8月22日木曜日

 前を向いていること

 我ながら嫌な性格だと思っているのは、後悔しか思い出さないし、それもちょくちょく思い出すことです。だからいつもうつ傾向で、人と会うことを嫌います。会えば人並みに言葉を交わすくらいはできるのですが、積極的に話し込んだりすると、あとでまた後悔の種を作ってしまうので、人とは離れていたい性格です。私だけではないとも思うのですが。

 そんな私に同窓会のお誘いがありました。いつも断っているのですが、年齢が年齢だけにいつになく熱心でした。結局は行かなかったのですが、その後、昔親しかった幼馴染が二人、電話をかけてきました。最初に幹事役から「電話をしたいといっている」と言われたときから『なんと言い訳をしようか』とずっと考えていました。考えに考えて行きついた答えは

 「だってあの頃、私、みんなに馬鹿にされていたじゃない」というものでした。「あまり、みんなに会いたいと思わないのよ。」

 もっと言えば、豪華なお料理の向こうにそれらの顔があると思うだけで参加するなんて想像もできないのです。さすがにそうは言いませんでしたが。それに子供の頃って、みんなそうでしょうけれども、成長過程でばかやって思い出すのは後悔ばかりです。みんな違うのでしょうか。

 お二人とも、それ以上は言いませんでした。わかっていたのです。つまり、『デブ』とか『ブタ』とかさんざん言われていたころの私の事を共有できたのです。

 あの頃、私の家は特j別裕福で贅沢というわけではなかったのですが、私も弟も肥満体形になってしまいました。終戦から十数年後、上皇陛下のご成婚とか初めての東京オリンピックが開かれたころのことです。今は街を歩けば、数人に一人は肥満体形ですが、あの時代、特に田舎では肥満の人なんて、それこそ私と弟だけだったと思います。何か悪いことをして金を儲けていると思われていた節もあったのかもしれません。髪の毛に火をつけられたことや、雪合戦で男子に一丸となって雪を投げつけられたことはやっぱりいじめです。そうそう、古い校舎の床を踏み抜いたこともありました。恥ずかしい。

 そういうわけで、恥と恨みの同窓会のことは、もう忘れたいと思うのですが、懐かしい友人のことはすぐには忘れられず、何度も頭に去来するのです。さてどうしたものか。

 それで考えたのです。後ろを振り向かないということを。亡くなった同級生も何人かいるし、親しかった友人には認知症の症状があると言っていました。だから今のうちに会っておこうというのが幹事さんたちの考えのようでしたが、私は違うふうに考えました。あの時代はあの時代のままに覚えておいて、懐かしむ。でも今は、残された時間や今の環境を大事にして前に進もうと。

 そう考えると、私は大変忙しいです。朝の体操、朝食のおから米粉パン作り、一品取らなければいけないタンパク質。とっさんのウクライナの戦況分析。その他ユーチューブ勉強。体操とかダイエットとか料理とか畑とか時にはエンターテインメントとか。今やユーチューブは何でも相談できる友人のようです。

 昼は畑、洗濯掃除。時にはDIY。

 片付けながらのネットショップ。ブログ。できれば動画づくりに挑戦。

 出かけるのは、トレーニングルームとプール、孫のおもり、買い物。

 こうして忙しく前を向いて動いていると、後悔している時間は少なくなります。これが健全な生き方なんじゃないかとこの頃思います。私は今まで暇人だったのです。残された時間を思えば、後悔に時間を割いている暇はないんです。