2024年8月19日月曜日

 ミヤコ蝶々のビッグショー 「面白うてやがて哀しき」

 いつものように、暇に任せてユーチューブ散歩をしていた時のことです。この画面に出会いました。昔よく見ていた蝶々さんです。『この方、歌を歌うんかい』と思って大画面にしてみたのですが、一曲目を聞いたところで引き込まれてしまいました。それから40分近く最後まで見てしまいました。

 まさにタレントです。声量が半端じゃ無いんです。『上手!』と思いました。歌手ではないので音程がずれることはあってもご愛敬でした。歌と歌の合間には蝶々さんの人生の物語が大阪弁で面白おかしく語られるのです。私くらいの年代の人間は蝶々さんの人生はある程度は知っていました。でもこの投稿主さんの説明だと、東京の日本橋の生まれなのだそうです。『知らなかった』と思って、あとでウキペディアで調べてしまいました。

 確かに日本橋小伝馬町の生まれでした。『鈴子が生まれて間もなく両親が離婚し、1924年(大正13年)に父親と兵庫県神戸市へ移住して父親はデパートで家具の販売をしながら神戸・元町で小さな家具屋を営んだ。父は芸事が好きで、新内節を唄ったり寄席芸人を招いては宴を楽しんでいた』。やがて父親が劇団を立ち上げ、鈴子はそこの座長になり、安来節を踊り、『その後、様々な芸(漫才、喜劇、女剣舞、バレエ、三味線など)を身に付ける』。

 このビッグショーを見ていて、『頭のいい女性だなあ』と思いました。40分間飽きさせないのです。演技もできます。

 最後は南都雄二さんとの出会いと別れの話でした。これは巷に有名な話でしたが、南都雄二さんは蝶々さんの前のご主人のお弟子さんで、この前のご主人がいい加減を絵にかいたような人で、別れて一緒になったようです。修羅場だったのでしょうが、そんなことはおくびにも出しません。やがて、雄二さんも浮気をして子供さんができ、離婚して、その後も一緒に仕事をしていた話は有名です。

 雄二さんが糖尿病で5年間の闘病の後に40代で亡くなる時は、最後は蝶々さんが面倒を見たという話は知っていましたが、その辺のところも蝶々さんの気持ちとして語られていました。このショーが何歳ころのものかはわからなかったのですが、この題名の本を1980年に書いたらしいのでショーはそのあとだと計算すると、2000年に80歳で亡くなったようなので、60歳以降のようです。

 最後の歌は『雪が降る』でした。『雪は降る、あなたは来ない』という安井かずみさんの訳詞のアダモの曲です。涙を流しながら歌っていました。

 今日はこれを見られて、得した感じです。