2021年4月24日土曜日

 山―足が痛い

 今思ってみると、夫の死って、結構大変でした。

 最初のころはコロナ下での弔い。世間一般と同じようにできなかったのは、私には幸いでしたが、皆さん善男善女ですから、どうしても気持ちが収まらない義理固さがあって、いろいろ送ってくださいました。その都度お返しを探して送って、二、三か月。その間、書類的な後始末と並行して、喪失感など感じないほど忙殺されていました。

 やっと終わったと思って次の段階に入りましたが、それが、『断捨離』でした。夫は歴史家でコレクターだったのでそれこそ大変な話は何度もしましたが、ごみ出しの日になると、大きなごみ袋を何個も、ごみ置き場にカートに乗せて持って行きました。二、三回になることもありましたし、時には車に積み込んで持って行かなければならないこともありました。

 捨てると場所が空くので、掃除をして、今度は出しっぱなしのモノの移動です。重いので、外のカートを家の中に持ち込んで引っ張っていき、棚やロッカーに収めました。大きな棚の上の方には脚立を使いました。そこで、多分足腰に負担がかかっていたのでしょうが、その時は夢中であまり感じませんで、5年もヨガを続けてきた体力があると、自画自賛していました。

 もうここは倉庫にして、引っ越しまで考えていたのに、本当に愛すべき我が家になった話はしましたが、その頃、まだ体力に自信のあった私は、コロナでどこへも行けない孫たちに、山に行こうと提案しました。私は田舎育ちですから、山には慣れていたのです。で、十二月ごろから週に一、二回、近くの楽しい山登りが始まりました。

 そのあと、二月ころに、ネズミの姿を発見したのです。昔にも二回ほど発見して、粘着式のネズミ捕りで捕まえた経験があったので、仕掛けて待っていたのですが、このネズミ、時間が経つうちにどんどん太って行って、一度かかった形跡はあるのですが、そのあとは一切引っ掛かりません。ネズミ捕りの枚数を増やしても同じです。ある時、古い冷房機の横から出入りしているのを目撃して、脚立を持ってきて、乗って隙間をふさぎました。そしたら、今度は上の隙間から出てくるので、網戸の網でカバーをしました。そしたら今度はその網を破って穴をあけて出てくるのです。今度は金網を買ってきて、また脚立に乗って金網をねじ止めしました。

 このころから足が痛いと気付きはじめました。一度、脚立から一段足を踏み外したことがあって、そのせいかなと思いもしました。それでも山には杖をつけば行くことができました。いよいよダメだと思ったのは長く歩くと、翌日痛くて歩けなくなったこと、脚立に乗ると翌日痛くて歩けなくなること、孫たちに付き合って一日出かけたときに、後半はほとんど歩けなかったこと。

 中国だか韓国だかで、配送員の過労死が報告されていましたが、これかなと思いました。配達しているとき、働いているときは疲労にさほど気が付かないのです。ある日突然来るのでしょう。

 私の場合、休むことにしました。休んだら、あちこち体中が痛むことに気が付きました。前太もも、大腿四頭筋というらしいです。膝、カクカクして力を入れると痛いのです。ぷっくりしていて張るので、水が溜まっているかもしれません。膝の裏。腿の裏の凝り。背中、特に左肩から上腕にかけての張り、心臓かな、動かすと痛いのです。休むとよくなってくるのですが、安心してちょっとでも動き回るとまた痛くなります。後になって分かったのですが、股関節と背中に粒状の内出血がありました。

 で、周りに言うとお医者に行けと言われるので、「ちょっと休みにするわ」と言って、湿布薬をしこたま買い込み、毎日マッサージ機にかかり、お風呂でマッサージをし、疲れたら横になります。オートファジーの食事法も取り入れ、水分もできるだけ1500㏄くらいまでにして、あとは実行あるのみです。また山に行けるようになるまで。