自分の終活も一緒に
夫の荷物の片づけをしていると、自分にも捨てられないでとってあるものがいっぱいあることに気づかされます。
例えば辞書。今はコンピューターで調べられるので、辞書は必要ありません。専攻が英文学なので、それこそいっぱいありますが、今は誰も使いません。
ごく一般的な辞書は捨てましたが、思い入れの深いものはなかなか捨てられません。特に、「親が買ってくれたのに」とか、「外国でわざわざ買ってきたのに」とか思うと、ますます捨てられないのです。
これでは夫の大荷物を笑うことはできません。
夫は末っ子の甘えん坊だったから、断捨離のような身をきるような仕事はもともとしなかったのです。自分ではできなかったろうなと捨てながら思います。
私たちの友人のやはり、捨てられないある人は、「死んだら家ごとつぶして捨ててくれ」と息子に言ってあると言っていました。
でも私は、少しずつ身を切るように自分で捨てていこうと思います。一日一か所、整理整頓をして、いらないものをより分けて捨てていけば、きっと荷物を減らすことができると思います。
そういえば、昔、まだ若いころに読んだ、吉沢久子さんの老い支度の本に、自分で写真も捨てると書いてあったときに、違和感を感じましたが、今はわかります。