2024年12月18日水曜日

 ユーチューブ勉強、腹八分目は?

 このところ、『カルシューム一日600mg、うち400mgは朝食で、コラーゲンは、ビタミンkは納豆、マグネシュームはのり』などと念仏のように唱えてながら食べていると、カロリー計算がおざなりになり、かつ、解き放たれた胃袋はつぎの種類の食べ物を待っている状態になっていることに、『気が付いてはいた』のですが。

 ある朝、体重がどんと上がっているということがやっぱり気になって、カロリー計算をしてみました。本当に簡易的な記憶だけの計算でしたが、朝ご飯だけで『720キロカロリー』でした。これ、三食食べたら2400キロカロリー、出されたおやつを遠慮なく食べたら、一日3000キロカロリーです。『やっぱりな』です。

 『やっぱりカロリーも計算しなくては』と思っていたところに、あるユーチューブの表題が飛びこんで来ました。それがこの『腹八分目は?』とか、それに近いものだったと思います。

 確かお医者さんのチャンネルで、昔からいつも腹八分目を守った食生活をしていたある老婦人が、最近になって体調が昔のように上がらなくなってしまって、お医者さんを訪れたようでした。お医者さんは、腹八分目の話を聞き、「老人になると、いろいろなところが老化してきて、いろいろな栄養素が必要になってくるから」とそこまで聞いて、不遜な私は『やっぱりな』とほくそ笑んで、チャンネルを切ってしまいました。つまり、そのあとのアドバイスを聞けなかったわけです。

 『どうすればいいのか』、あとはネットの闇の中です。

 でもとにかく、骨密度が低くなって、歯が悪くなり、今年の二月には体調不良にもなったわけですから、老化はどんどん進んでいることは間違いありません。しかし、体重が増えたら、いくらトレーニングをしていると言っても動きは悪くなります。現に昔できたヨガのポーズができなくなっているのも事実です。『さあどうしよう』。

 で、出した答えは、『とにかく、朝のカルシューム400mgは計算してとって、あとはカロリー計算で、昼と夜は少なめに抑えよう。例えば、朝720なら、昼と夜は400キロカロリー程度。これで1520キロカロリー。おやつを食べても1800くらいには抑えよう』願望。

 またカロリー計算の始まりです。

2024年12月16日月曜日

 ユーチューブ勉強、『フラミンゴの介護予防チャンネル』

 このチャンネルのことは前にも書いたと思いますが、時々、表題にひかれて見ています。

 今回はこの時期にぴったりな、又、私の年齢にぴったりな内容で、しかも短い動画だったので見てしまいました。

 内容は、『この時期、腰の骨折をする人が多い』というものでした。「ええ、なぜ」といつものように捕まってしまいました。

 開いてみると、この大掃除の時期は、台に乗ることが多くなるからだそうです。台に乗って高いところに手を伸ばすと、骨盤後傾の人は腰が丸くなっているので、伸びきれずに後ろに引っ張られて倒れて尻餅をついてしまうのだそうです。

 「なるほど」でした。そのあと、骨盤後傾のチェック体操もしたのですが、幸い、私はまだ大丈夫のようでした。

 でも、これに食いついたのは、実は私も、半年前梯子に上った時に「落ちるか」と思った経験があったからです。脚立を伸ばした梯子でぎりぎり届くというところで、ほとんど垂直に近く立てた梯子の下を娘が押さえていました。

 だから梯子の枠につかまってさえいれば大丈夫と思っていたのですが、ぎりぎりまで登っての作業を終えて、いざ降りようと思ったときに、腕を下ろして梯子の先をつかむのが難しい、足を下におろすのが難しいと気が付いたのです。お隣の奥さんが心配そうに見ていましたし、幸い、目の前につかまるところがあったので、意地でもそこに必死につかまって足を一歩ずつ下ろしました。あの時は「もう二度とやるまい」と思ったのですが。

 あの高さはもうしませんが、脚立に上っての掃除くらいはしています。大掃除ですからしないわけにはいかないですし、しなければならないことをするのが人生だと思います。

 あの頃からトレーニングを週4、5日くらいし始めて、秋の収穫やDIYや歯周病で少し休んで、また、寒くなってきたので今度は週に2、3日、カルシューム、コラーゲンと念仏のように唱えて食べながら、やり始めました。器具を使ったトレーニングなので、筋肉が付くことも大いに期待しながら。

2024年12月8日日曜日

 ユーチューブ勉強、コラーゲン、ビタミンB、D、K、C、マグネシウム

 『ひまわり健康チャンネル』というのも登録してありますので、時々動画の一覧に出てきます。今回、『百歳までの骨の健康』というテーマだったので飛びつきました。

 例のごとく、全部を理解しすべてを取り入れられるというほどキャパシティーはないのですが、『骨密度を改善させるためにはカルシュームだけではダメ』と書いてあったので、思わずメモしてしまったのです。

 骨というのは『カルシュームとコラーゲン』でできているというのがまず目からうろこでした。

 今、カルシューム、一日600mgを摂るために、朝、牛乳コップ一杯200㏄、240mg、チーズ一個、100mg、カルシュームサプリ一錠、100mgと計算して、朝だけで400mgをとる食生活を続けているのですが、この「カルシュームサプリは動脈硬化を招くからやめましょう」というところから、「ええ」という、いわゆる「つかまれて」しまいました。

 『じゃあ、どうしたら』というと、『できるだけ食品から』というので、いろいろ考えてしまいました。カルシュームは今まで調べてきたので、何とかなりそうですが、コラーゲンは、何から摂るか、今から調べるしかありません。とりあえず、『鶏皮』を買ってきて食べました。娘に言わせると、ゼリーだそうです。でも確かに、このしわしわの顔はコラーゲン不足なのかもしれません。

 そのほかに、理由は専門的でよくわかりませんでしたが、ビタミンB、D、K、Cとマグネシウムと運動と睡眠が必要なのだそうです。

 ビタミンCは果物、マグネシウムはノリなどの海藻、大豆など豆類。

 ビタミンB群はいくつかありますが、主に肉やレバーや卵を摂っていれば、普通に解決しそうです。

 ビタミンDは食品と日光浴だけでは不足しがちだから、サプリに頼るのがよいと言っていました。

 ビタミンKは納豆を食べていれば大丈夫だそうです。

 まあ、これなら私にもできそうです。できるだけ多種類の食材を食べるようにはしているのです。

 今週からトレーニングも再開しましょう。

2024年12月7日土曜日

 人生の闇

 このことは前にも書きましたが、職業別で言ったら、お医者さんの自殺が一番多いのだそうです。人と直接的に接するという職業はたくさんのストレスやトラウマ【精神的外傷(せいしんてきがいしょう)】を生むことは想像に難くありません。

 かくゆう、あまり人と接触しないで生きてきた私でさえ、ときどき嫌なことを思い出して、身震いしたり、それにとらわれて、「どうしようか」とか考え込んでしまうことがあります。自分の弱い性癖で、どうしようもない、考えないことにしようとか思いますが、頭に浮かんできてしまうことは、それこそ「どうしようもない」のです。これを鬱というのでしょう。

 人生のゴールデンタイムに入ってからは、人との接触はあまりせずに、この世から解き放たれたような気持ちになっておひとり様を楽しんでいますが、それでも、脳の記憶は消えないです。

 先日、ユーチューブサーフィンをしていた時、通り過ぎる表題の中に、「自分に集中すること、周りのことは気にしないで、自分がやりたいことだけをする」という感じの動画がありました。残念なことに見ないで通り過ぎてしまいましたが、あれは真実ですね。つまり、『自分と自分の前だけを見ろ』ということだと感じました。

 ユーチューバーズ

 本当に今までは悪いうわさが主流だと思っていた立花孝志さんが勧善懲悪のヒーローに見えてきました。

 ばれるのを恐れて自殺した県民局長は本当の黒幕ではないのかもしれない。今でも生きていて裏で指図している悪い奴がいるのかもしれない。本当にまるでサスペンスドラマのようで、これ、実際小説になるかもしれません。『実録兵庫県知事選、県政の闇』とか。

  今まで私の知っていたユーチューバーは上念司さんと高橋洋一さんとウクライナ応援のとっさんと近藤さん、そして中国がご専門の渋谷司先生、くらいでした。

 中でも経済がご専門の上念氏と高橋先生は、言っていることの半分くらいしかわからないので、ことさらに優秀に見えて経済ネタは敬遠気味でした。

 それがここにきて、立花さんのパワーに負けて、NHK党の人たちを知り、兵庫の議会とマスコミがあまりにも卑劣なので、ついつい見ていると、芸人のホンコンさんとか、ホリエモンはどうでもいいけど、県民のコメントを紹介する動画とか、音声データを流す人たちとか、まあまあ、たくさんの正義の味方を知ってしまいました。

 私も、動画、四つぐらいアップしていて、一応ユーチューバーなのですが、あたりさわりのない景色などが主で、親戚が見てくれています。

 でも、今回知ったユーチューバーたちは、いわゆるジャーナリズムの人達や政治家や法曹界の人達で、立花氏に言わせると、「命を懸けて」闘っている人たちでした。

 斎藤知事が、濡れ衣を着せられて、全会一致で罷免されて、涙を流しながら、駅頭に一人立ちし、罷免した人たちへの非難を一切言わずに、今までやってきたこと、これからやっていきたい政策を通行人に訴えているのを見て、「これが真実です」と情報を寄せる人が次々に現れ、浜田氏や立花氏の参戦を誘い、フリーのジャーナリストたちが参戦し、中高の同級生たちが全国から応援に駆け付け、マスメディアも斎藤氏も言わない、斎藤氏の真実を掘り起こして、圧勝に導きました。今やほとんどの偽情報を覆し、それでも非を認めないマスメディアに果敢に挑んでいる、闘うユーチューバーの部類の人達です。年寄り風に言うなら、これも時代ですね。

 ところで、FC2の創業者が逮捕されたそうですが、FC2ってそんなに闇だったのですか。ネット社会ってわからないですね。

2024年11月28日木曜日

 ユーチューブ勉強、マスメディアとSNS

 『ゼロ打ち』もいい勉強でしたが、兵庫県知事選第二ラウンドもいい勉強でした。

 マスメディアが『SNSに操られて斎藤さんを当選させた』というような言い方をしているのです。私も名前を出してしまいますが、私、元鳥取県知事 片山善博氏のコメントは昔から正論だなと思っていたのですが、ここ最近は、ちょっと違うかなと思い始め、今回は全く違うと思ってしまいました。私がSNSに毒されたのではないと思います。私は自分の意見をSNSやマスメディアから拾って映像を見て自分で判断していると思っています。だから片山さんの言うSNS規制なんてとんでもないと思います。ユーチューブを見れば、兵庫県民と同じように真実がわかるのに、片山さんは見ていないのだと思いました。

 最近見たユーチューブで、選挙戦最終日の斎藤候補の選挙カーを何重にも取り囲んだ聴衆のあり様を一時間以上もかけて実況中継しているユーチューバーがいました。まさに臨場感満載でした。

 彼は雨の中で傘を差して、駅前に集まった人々や、高架の歩道橋にぎっしりと詰まった人々を写しながら選挙カーを待ちます。斎藤氏が到着すると、その演説する姿を映し、終わると、その後に来る立花氏の選挙カーを待ちながら、アンチの人達を撮ったり、知り合いと話をしたり。やがて立花氏が来て演説を始めると、それもしっかり実況中継していました。彼は自分の意見は言いませんが、斎藤さんが正しいふさわしいと思ったから、応援しながら実況していたのだと思います。

 こうやって直に斎藤候補の政策の話を聞き、立花候補の真相究明の話を聞けるなら、コメンテーターやキャスターはいりません。

 また、百条委員会と記者クラブの高圧的な取材の動画も配信されると、誰でも悪はどっちかがわかります。その選択は間違い様がありません。

 既得権益って本当に恐ろしいですね。嘘をでっちあげて、それが正しいとあの手この手で信じ込ませようとするのです。まるでプーチンさんと同じです。兵庫県民は選択を間違わなくって本当に良かったと思います。

 今回、NHK党の動画をよく見たので、人物像を調べてしまいました。あんなに頭のいい、党首の立花さんは高卒、浜田参議院議員は東大京大卒のお医者さま。副党首は東大卒の元官僚。ついでに気になっていた国民民主の玉木さんを調べたら、東大ハーバードでした。二世、三世議員のひしめく自民党にはあまり優秀な人は少なく、野党に回っているような気がします。これも既得権益ではないでしょうか。このまま行くと、やがて、ヨーロッパの多党政治のようになっていくような気がします。

2024年11月22日金曜日

 ゼロ打ち

 この歳になって、また新しい言葉を覚えました。開票開始直後に当選確実が出ることらしいです。

 兵庫県知事選挙の開票前後の一週間、私もこの劇場の物語のような、それでいて心を揺さぶる現実から目が離せませんでした。

 わが家にはテレビ、新聞はないのですが、それでもどこかから、『斎藤元彦兵庫県知事がパワハラをして自殺に追い込まれた人が出た』というような話は漏れ聞こえてきていました。その知事が議会で不信任され、辞職したけど、再出馬するらしいということもうすうす聞いて知っていました。私の知識はその程度だったのですが、遠い遠い関西の話ですからそんなに関心があったわけではありません。

 それが突然、ウクライナの情報を追っている私の前に、立花孝志NHK党首が躍り出ていろいろな人の実名を挙げて「実はこうなんだ」、「これが真実なんだ」とデータを開示し始めました。そのうちに、「私もそう思っていました。斎藤さんごめんなさい」という人たちが次々にユーチューブをアップして、真実と思われることが拡散していくと斎藤氏の演説会場も多数の支持者、少数の邪魔する人などで騒然としていきました。

 そして『ゼロ打ち』でした。

 選挙中にわかったとされる真実は、いわゆる氷山の一角で、今は後追いで次々と新事実が出てきています。おねだりをされたという人たちが「そんなことはなかった、でっち上げだ」と投稿していたようです。支えきれなかった片山副知事は涙で申し訳なかったと言っていました。また斎藤氏の人柄を示す動画、中高の同級生が全国から駆け付けて選挙運動を手伝った、その中でも、私も見ましたが、障害のあるという男性が「斎藤だけは僕をいじめなかった。斎藤は仕事最優先のできるやつで、周りがあたふたされていたのかもしれません」と言っていました。私も感動しましたが、これを見たユーチューバーも同じだったらしく何人かの方が言及していました。またそれが真実であることをリハックというユーチューブで斎藤氏が語っていました。皆さん、このリハックを見たという方が多かったです。

 私が得た知識では、当初引き継いだ県の財政は1800億の赤字だったらしいです。それを何とかするために、まず、自身の給与、退職金の引き下げ、高価公用車の解約、1000億円と言われる庁舎の建て替え再検討、5つある海外事務所の縮小、天下りの縮小。浮いた財源で、県立大学の無償化、公立校への補助の拡大。万博への対応、阪神淡路大震災30年という節目の政策、次々とやりたい政策が語られていきました。これは障害のあるご友人の言われたことは本当の人物評だなと思わずにはいられませんでした。

 それで、みんながそう思ったからゼロ打ちになったんです。

 橋下徹さんが「権力者には向かない」とおっしゃったようですが、確かに実務家のようです。だから、1000億円と言われる庁舎の建て替えを当てにしていた業者さんに恨まれ、いわゆる既得権益を持つといわれる人たちに恨まれ、職員に造反され、副知事に泣かれてしまったのでしょう。

 私、ここで、言い訳をされない斎藤知事に代わって、頼まれもしないのに兵庫政界の闇を暴露し続けた立花孝志さんは正義の人だと認識してしまいました。だって、既得権益を持つ人たちっていうのはずっとつながっているのです。奥谷百条委員会委員長、その母、広島県人会副会長、その叔父、建材会社社長、自殺したセクハラ局長、その妹は朝日放送の理事かなんか。つまり、兵庫県の上流社会を形成していたんです。斎藤知事が、若者の企業支援、教育環境の整備という気持ちがよくわかります。未来は違うものにしたいんです。

2024年11月15日金曜日

 ユーチューブ勉強、『90前後で女性はこう変わる』樋口恵子、下重曉子

 私が登録している『本要約チャンネル』に久しぶりに読みたい本が出てきました。でも、ミニマリストで面倒くさがりな私は本を読まずに、『本要約チャンネル』を見て読んだ気になろうとしています。

 『本要約チャンネル』のタイトルに「60歳以上は絶対読んで!」とか、「75歳過ぎたら女性は激変する」とか、「元気なうちにこれだけはやっとき!」というようないかにも心を誘う文句が並べられていて、社会的にも活躍したお二人のアドバイスを聞かないわけにはいかないという気分にさせられます。

 ちなみに樋口さんは92歳、下重さんは88歳だそうです。『本要約チャンネル』が、うまく3つにまとめてくれています。

 最初の1つのその一は、樋口さんは90歳になった時、ある日突然食べられなくなって、体力の低下を経験したそうです。この年代の人で低栄養になる人は多いのだそうです。その時、秘書さんか誰かが気づいてくれて、立ち直ったそうですが、誰かが自分を必要としている、誰かが自分を気遣っていてくれていると思うことで少しずつ食べれるようになり、今は配食サービスを利用したりして少しづつ栄養のバランスの良い食事をとれるようになっているそうです。

 その二は、足腰の弱り。転んで骨折ということが多いそうです。運動をしてバランスを保てるようにということでした。

 その三は、トイレが近くなる。70代後半になると冷えてくるというのは私も実感しました。でもカイロや尿漏れパッドなどの便利用品を使いながらも、行動や活動は優先させたほうがいいと言っていました。

 その四は、寝つきが悪くなる。いわゆる不眠症らしいです。私も夜中二、三回トイレに起きて、時には睡眠時間が短くなる時があります。不眠症とまでは行きませんが、活動に不安が出てきてしまいます。ひどい時は薬のサポートも検討してもいいのではないかというアドバイスでした。

 2番目は「老いの分かれ目」として、75歳を過ぎると「足腰が弱くなる」「病気をしがちになる」。どちらかが、85歳で乳がんの手術をしたと言っていましたが、入院中、「何もしない生活はつらい」と感じたと言っていました。夢中になれる時間、目の前のことに集中する、いわゆる「マインドフルネス」な時間を持つようにすれば、悩みや不安が消えると言っていました。そうか、マインドフルネスとはそういうことだったんだとこの時思いました。昔「無我の境地」とかいうので書いたことがありましたが、いまいちわかりませんでした。それが「老化を乗り越える」方法だと言っていました。

 3番目は「元気なうちに」しておくべきことだったと思います。

 その一は「お金に真剣に向き合う」ということでした。どうやって楽しみながら、お金を活用して生きるか。私のDIYは実用的でいい趣味かも知れません。

 その二は「会いたい人には即会いに行く」「やりたいことはすぐにして、やりたくないことは絶対にしない」。欲を持ち続けること、食欲もしかり。好奇心もしかり。日々に新しい発見をして、達成感や充実感を持ち続けることは心の支えになるということでした。

2024年11月9日土曜日

 今の私の体操

 厳しい暑さの夏から、ある日突然秋になって、気候も良くなったら、がぜん忙しくなってしまいました。芋掘りから始まって秋の種まき、衣替え、涼しくなるのを待っていたDIYの壁紙張り。トレーニングに行っている時間は無くなって、それでも毎日トレーニング並みに体を動かしています。

 秋も深まって寒くなりだしたので、またトレーニングに行けそうかなと思っていますが、歯医者さんに行く時間が加わり、壁紙張りも一段落と思っているうちに暮れのお掃除が気になりだしてきまして、今年は台所のタイル磨きをしなければ、と汚れたタイルが自己主張をしているような気がします。そうそう、暖房機の出し入れも寒さとともにせかされます。そのためにはお掃除をしなければ。

 そういうわけでトレーニングのようなまとまった運動らしい運動はできませんが、今ハマっている運動があります。それは毛細血管を動かすような運動です。

 例えば、歯医者さんの待ち時間には歯のかみかみ運動をして歯茎の血行を良くするようにしています。もちろん、首の運動もして、ついでに目をしばたかせて涙を出すように、これはドライアイのための運動だそうです。さらに時間が余ったら足首、足指の運動。便秘対策のための骨盤底筋の運動。誰にも見られないので、いくらでもできます。女優の木村多江さんは、会議の時は背筋を伸ばして、だれにもそれとわからないように運動していると言っていました。

 家では、ユーチューブヨガなどもできますが、時間がとられるのは同じで、それでもまとまった時間があれば、近くのスーパーに歩いて買い物に行きます。これで、この暮れを乗り切って、一月に、またトレーニングに行けることを楽しみにしています。

2024年11月4日月曜日

 カルシューム カルシューム 歯医者さんに行ってきました

 骨密度は確かに低かったものの、これがどーして不足しているかなんてわからなかったのです。特に運動なんてほとんどしたことのない私は、ただ体重が下がって、顔の形が変わってきたことに大喜びしていました。

 ところがある日ポロリと歯の詰め物がとれて、直してもらっているときに虫歯が見つかりました。まだトレーニング真っ最中だったので、歯をかみしめているのかなと思っていましたが、少し休んでいる今になっても虫歯は進行中、直してもらったあたりも、硬いものを噛むとうずうずと落ち着かなくなってきました。

 なんとなく、骨密度のⅮ判定と、さらに下がったと言われたことが気になって、カルシュームが足りていないのかなと思い始めました。

 気になって、一日の必要カルシューム量を調べたところ、私の年代では600mg必要と書いてありました。早速食べ物をチェック。乳製品、鯖缶、生揚げ、ミズナなど、私があまりなじみのない食品ばかり出てきます。特に牛乳は太る食品として最近あまり食べなくしたものです。

 歯が大事か、体重が大事か。もちろん歯が大事です。それで慌てて牛乳を飲みだし、歯の修繕のために歯医者さんに予約をしました。

 運動に必要なのはタンパク質だとばかり思っていて、肉類は結構食べていましたが、いろいろ調べたところ、肉類にはカルシュームは入っていないのだそうです。また、運動すると汗とともにカルシュームが出て行ってしまうのだそうです。目から鱗です。

 栄養のバランスって知っているつもりになっていましたが、実はあまり知らなかったと気づきました。ただ、私のように太ってしまう人は栄養が偏っていて、その偏った栄養を無意識のうちに補うために多くのものを食べてしまうのだと昔聞いたことがありました。欠乏していたのはカルシュームだったのでしょうか。それを補うためにたくさん食べていたのでしょうか。

 しかし今度も、意識的にですが、カルシュームを摂るためにたくさん食べて太ってしまいそうです。

 不安な気持ちで歯医者さんに行って、最新機器で歯全部のレントゲンを撮ってもらい、歯医者さんの診断を仰いで納得しました。「歯周病です」。私の歯は、修理はしてありますが、ほとんど全部そろっているのです。しかも、毎日歯周病予防の薬を塗っています。最初は「ええー」と思ったのですが、「骨が下がっている」と言われて、『硬いものを噛むと痛い』真相を納得できました。次回の『歯石取り』から長いお付き合いが始まりそうです。

 でも、まだ全部そろっているのですから、あきらめずに改善するように努力するしかありません。諦めたら無くなってしまうのですから。カルシュームと歯磨きマッサージ。

 前回の追記でも書きましたが、歯茎の毛細血管が萎縮すると歯周病になり、目の毛細血管が萎縮すると老眼になるのでしょう。ついでに、顔の皮膚の毛細血管が萎縮するとしわができるのでしょうか。血行をよくして冷えを摂り、少しでも元に戻せるように、これも日々の老化との戦いの一戦線です。

2024年10月31日木曜日

 ユーチューブ勉強、冷えとは

 10月も末になり、昨年経験した足の冷えがうずうずと感じられてきました。昨年は本当にひどかったのです。足の甲の感覚がなくなるくらいでした。もちろん温めました。でも、いくらカイロを貼っても全然温まりませんでした。

 それで血圧も高く、今考えると、二月には胃もおかしくなり、吐いてどっと痩せたという経緯でした。

 そこで、幸いにもトレーニングに出会い、暑くなるにしたがって血圧も下がり、今年はなんとか昔のように冷え知らずの体になるかなと期待していたのです。

 しかし、うずうずと冷えてきて、血圧も上がり始め、冷えの不安は広がり始めました。この足が冷えてきたなと感じたときに血圧を測るとどっと高くなっているのです。車の運転後に測った時も高くなりますから、緊張時に高くなるのでしょう。

 これはユーチューブで調べなければなるまいと思い、何個か見たのですが、なかなかぴったりくるものに出会いませんでした。

 やっとこれはと思ったものは、岩手か山形のテレビ局の番組で、女性医師が解説していたほんの一、二分の部分で、今はもう、どこに行ってしまったかもわからなくなってしまいました。普段あまり、テレビ局のユーチューブは見ないのですが、冷えの症状を四つに分けた中に、私に当てはまるものがあると思ってメモしていたのです。

 今見ると、汚い字で乱雑に、かつ部分的に書いてありますが、その四つの型とは、『全身型』『四肢末端型』『下半身型』『内蔵型』です。私は『下半身型』だろうと注意を引かれたのです。

 『全身型』とは、不摂生などで基礎代謝量が落ちて、貧血などを起こしやすい、全身型なので気づきにくいとの説明でした。

 『四肢末端型』とは若い人に多く、ダイエットなどでバランスの悪い食生活をしていると起こりやすいそうです。

 『下半身型』の原因はデスクワークや加齢などで筋力不足になると起こりやすいということでした。下半身だけ冷えて、上半身や顔には汗をかくと言っていましたが、これは私には当てはまりません。

 『内蔵型』は下腹部、太もも、二の腕、などが冷えるそうです。ストレスや冷たい食べ物などで自律神経が乱れると起こるそうです。

 こう並べてみると、便秘に悩む私は、『内蔵型』でもありそうです。

 細かい症状としては、冬になると体温維持のために自律神経が末端の血管を収縮させるのだそうです。それで末端の血流が悪くなる。改善策は『ストレス解消』『ストレッチ』『温める』『冷えを病気としてとらえる』、私の場合は高血圧でしょうか。

 そういえば、前に見たあるコマーシャルを思い出しました。『おなかを温めると手足の冷えまで治る』と言っていました。最後まで見なかったので、どうやって温めるかわかりませんが、石原新菜先生の『温活の勧め』を思い出し、おなかが何重にもカバーできる長めで大きめの服を着ようと思いました。

 追記

足の末端の毛細血管が萎縮するから冷えて水虫になるのです。内臓の毛細血管が萎縮するから便秘になる。縮んだ毛細血管に血液を通そうとして血圧が上がる。まだこの段階ならいいのです。心臓の毛細血管が委縮したら心筋梗塞になり、脳の毛細血管が委縮したら認知症になるのじゃないですか。私の感覚としては。

2024年10月26日土曜日

 かわいそうなわが家のサツマイモたち

 おととし、わが家の狭い庭の隅に、サツマイモがつるを伸ばして、『お、これは』と強欲な私に期待を抱かせました。生ごみを埋めた場所ですから、生ごみの中に私の好きな『紅あずま』の切れ端がはいっていたのでしょう。蔓を伸ばしてはいましたが、少し遅かったので最初からあまり期待はしていなかったのです。それでも、秋になって掘り上げたとき、いもの影も形もなかったことはさすがにショックでした。

 だから今年、私のお気に入りの『紅あずま』の端っこを小さな畑の真ん中に、何個か埋めたのです。それらから上手く芽が出ると、今度は欲を出して、わが家で一番大きな植木鉢に何個か埋めました。ユーチューブで、袋栽培でサツマイモを大量に収穫した話をしていたのです。三回目は少し土を盛ってあるところに数個植え、他の野菜と一緒にたっぷりと水をやり、今年買ってきた化学肥料も数回施し、これで大収穫のはずだったのです。

 つるは伸び、葉は生き生きと四方八方に伸びていきました。あまりの勢いの良さに、来年はこれでグリーンカーテンを作ろうと来年の夢まで見ていました。もちろんユーチューブも時々見て、つるの勢いがよすぎると「つるボケ」という現象が起きる、「つる返し」という作業をするといいと言っていたので、お隣に行きそうな蔓を時々内に戻しました。九月の末には「試し掘り」をすると言っていたので、勿論やってみました。残念なことにまだ根っこの状態でした。「今年は暑かったから」と言い訳をかんがえましたが、不安は残りました。 いよいよ、10月も後半に入り、ユーチューブでも、芋ほりの話題がいくつか出てきて、『ひろちゃん農園』ではあまり太った芋はできなかったようでしたが、他のユーチューブでは大きくなりすぎて、「もう掘らなくては」と焦っていました。

 ちょっと不安がよぎったのは、どちらの畑も土が固くって堀づらそうでした。わが家のはふかふかの土です。

 そして花火の日も近づいたある日、孫たちも喜ぶだろうと掘る決心をしました。まず最初に植木鉢をひっくり返してみました。芋の形さえありませんでした。あんなに蔓が伸びていたのに。少しは形が欲しいと思って、最初に植えた場所を掘り返してみました。これも同じ。細い芋とも言えない芋が数本。最後にちょっと高くしてあった場所を掘ってみると、ここにはやっと芋と呼べる代物が数本。考えるにほとんど全滅でした。

 あとで、いろいろ見てみると、サツマイモには水と肥料はいらないのだそうです。一番ほったらかしでもできる作りやすい作物なのだそうです。

 来年は今度こそリベンジの年です。大量に出た蔓の残渣をたい肥にして、もうどこに植えるかも決めています。

2024年10月23日水曜日

 神社の存在意義

 いつも宗教は詐欺だと言っている私ですが、ある日、大きな鹿島神宮の森に行ったときに突然ひらめいたのです。この大きな自然が守られているのは、この神宮のあるおかげだと。 日本の神道は、他の宗教とは違うという意見を聞いたことはありましたが、この神宮も権力者の政治的影響力に使われたことに変わりはありません。私は一度ここで嫌な体験をしたことがありまして、中にある建物の裏手に回る木戸が開いていたことがあって、当然入ってもいいものと思って、お客さんを伴って入っていきましたら、叱責されて追い返されました。お客さんの手前、面目丸つぶれで、恥ずかしいやら、みんなのものと親しみをもっていた神社が私たちのものではなかったと思う失望感で、それ以来、宗教は権威主義的で排他的なものという感覚がこびりつきました。

 人は、私を非常識と思うかもしれませんが、私の田舎の村の鎮守の雷電様は子供の遊び場で、後ろに回ろうが下にもぐろうが、特別危険がある場合以外は誰も何も言いません。

 そう考えたとき、神社には、自然発生的なものと、権力者が作ったものと二通りあるような気がしてきました。前者には、水守、山守、鎮守などがあり、なるべくそのままで、何事もなくいてほしいという願いのこもったもの、後者は政治的に人心掌握のために権力者が援助をして作らせたもの。当然後者は大きく、見張りのための神官が威儀を正してお祀りをしています。前者は無住です。それでも、そのあたりの自然を守っていることには変わりありません。

 そんな村の鎮守もお祭りの時は違った顔を見せます。みんなが神様のために力を集め、神様の代理人のようになって、善男善女の心を一つにしようとします。だから、同じ心境になれない人たちは、例えば、私のように参加できない人、同調できない人は悲しい目をして、神様の権力を持った人たちを横目に見ているしかありません。これは、私だけではありません。満州で生まれ、戦後引揚者で、各地を転々としたという、なかにし礼さんが「お祭りは嫌いだ」と言っていたのを聞いたことがあります。確か、「お祭りは、そこに住む人たちだけのものだ」と言っていたような気がします。

 確かに、自然の大きな力や外部勢力と対抗するためには結束が大事で、そのための権威が必要だったのかもしれません。野放図な怠け者の自由人は参加できないのです。そして、私は集落が結束して生きていた古代社会では生きていけなかっただろうと思います。

 こんなこと、それなりの専門書を読めば書いてあることなのでしょうが、今、私がわかったということが大事なのです。そういうわけで、私は宗教は方便だという考えに固執しています。

2024年10月11日金曜日

 私のゴールデンタイム

 トレーニング6か月目の10月半ば近く、日も短くなり、寒くなり、暑さに張り合うように気を張って運動してきて、はっと気が付くと、なんとなく疲労が胸のあたりに忍び寄ってきている感じがして、『どうしようか、休もうか』とか、怠け心が起き出してきました。

 そんな時、トレーニングの合間や前後の休憩時に崩れるように座っていた電磁治療器が壊れて修理に出されてしまいました。寂しいやら、悲しいやら。それがないだけで疲労がどっと溜まってくる感じでした。

 さて、どうしようか。怠け心はますます言い訳を作ってしまいます。

 もともと、DIYの『壁紙貼り』は涼しくなったらやろうと思って、ネットを見たりしてやり方や商品を勉強していたのですが、いよいよその時期に差し掛かってきていました。

 そこで考えたのです。『時間が足りない』と。

 小さいながらも庭畑は秋の収穫と片付け、種まきの時期、家では衣替えの時期、今までの一日のスケジュールにDIYの『壁紙貼り』を入れる余裕はありません。

 そこで、『考えたのです』。いや、『考えたかった』のかもしれませんが、寒くなるまで、トレーニングを一時停止して、DIYの『壁紙貼り』をやろうと。『いいじゃないか、私のゴールデンタイムは、私が自由自在に使えるはず』。

 ちょっと心によぎったのは、一緒に通っていたお仲間のこと、90歳の大先輩は元気にしていてくれるかなとか、ちょっと親しくなった人たちは心配しているかなとか、もともと、昼と夜とに分けて、時間は決めていなかったので、いないときは夜の部に行っているのだろうと思ってくれるかなとか、電磁治療器は治ったかなということ。

 何もかも忘れて、この気候のいい時期、3か月、10、11、12月、暮れの大掃除もかねて家半分の壁紙貼りをしようと、30メートルののり付き壁紙を買ってきてしまいました。買ってきてしまってから気が付いたのです。壁紙を貼るためには、タンスも机も、壁際のものすべてを動かさなければならない。意気はだんだん消沈して、『できる範囲で』と方向修正しました。

 まず、元の壁紙の剥がれを直して、拭き掃除をすることから始めました。脚立の上り下りが頻繁になるにつれて、腰が痛くなりだして思い出しました。四年前、夫の遺品整理で脚立の上り下りを頻繁にしていた時、足腰が立たなくなるほど疲労したということを。さあ、頑張りましょう、トレーニングの代わりです。

2024年10月5日土曜日

 ユーチューブ勉強、人生のゴールデンタイム

 私のような70代でおひとり様をゴールデンタイムと呼ぶという動画を見つけて、ついつい見てしまいました。出先で偶然に見て、すべてを覚えているわけではないのですが、家に帰って検索して又見ようとは思いませんでした。それを実感している人間にとってはそんな当たり前の動画だったのです。

 70代のおひとり様はなんでも好きなことができる。昔で言えば、いわゆる『隠居』の身分です。隠居ですから金銭的ゆとりはないけれど、現役を引退しているので身体的にも時間的にもゆとりがある、自由です。

 確かに今まで考えもしなかったいろんなことが頭に浮かんできます。生き方、今まで、これから。今からしたいこと、頭の中で考えることは自由で無限です。それを追い求めることも誰に遠慮もいりません。

 時間が足りないというくらい積極的な人もいますが、「何か目標を立てて、それに向かってやっていないと、思考が先細りして、ひいてはマイナスになってしまう」と、80代の義兄は言っていました。『人生を生ききるための五本の柱』はやはり必要なのです。

 でも、夕暮れと同じで、やがて目が見えなくなり、闇は必ず訪れます。今はその黄昏の一瞬なのでしょう。

 この時間を長く保つために、思考と体力の両方を追い求め、時間を満喫することがこのゴールデンタイムの過ごし方なのでしょう。確か、動画もそう言っていました。

2024年9月28日土曜日

 写真はうそをつく

 先日、知人が八月の旅行の写真ができたからと持ってきてくれました。旅行は先月のちょうど健診のころに行ったもので、その前の写真も入っていました。

 ちょっと見て、思わず。「私、どこにいるの」と聞いてしまいました。何枚か見ても、顔がしまって小さくなっているので、すぐにはわかりませんでした。トレーニング4か月目の写真でした。

 さすがに横向きのものはまだ十分太かったですが、斜めに向いているものや、人と重なって映っているものは、姿勢もよくなって、まるで別人のようでした。プールの日も交えて、今、トレーニング6か月目ですが、この写真を見て、怠け心が吹き飛びました。

 でも、写真ではしわはあまり見えないのですよね。現実に毎日鏡を見ていて、目の下、口元に今までにはなかったしわを発見している私は、写真だけ見て喜んではいられません。

2024年9月23日月曜日

 左半身と便秘

 五か月もトレーニングをしていると、体の変化(老化も含めて)が、いろいろと気になり出します。『ああ、そうだったのか』と気づくことがどんどん出てきます。

 まず左半身。昔、夫から「左肩が下がっている」と指摘されたことがありましたが、「右利きだからね」と意に介しませんでした。この頃娘に「左肩が下がっている」と指摘されますが、「車の運転、長い間右足だけだから」と言い訳できました。

 ところが、この頃ときどきプールにも行き始めて、久しぶりにバックで泳いだら、まっすぐに泳げないのです。すぐに左に寄って行ってしまいます。つまり、右が強すぎて、左が弱すぎるのです。『これは』と思いました。

 思い当たる節が多々あるのです。

 まず昨年の冬の『左足の冷え』です。電気毛布の下で、今までは使ったこともないカイロを毎晩二個ずつ使ってなんとか乗り切りました。それを乗り越えての家の修理でした。

 次に、左足の動きの悪さです。特に指は少し違和感があるのです。

 更に、左目の老眼化が急速に進みました。昔は右目近視、左目遠視とか言って、左右の違いを笑っていたのですが、今や笑えない状態で、乱視も入っているという左目は使ってないんじゃないかと思うくらいです。で、この頃は鍛錬のため右目をつぶって生活したらどうだろうと思いました。確か昔読んだヨガの本に、『片目ずつ使う』というのがありました。

 更に更に、この頃ストレッチで、『尾てい骨を触る』というのがあって、左は簡単にさわれるのに、右はさわるのに遠く感じて、これは『体が左に傾いている』と感じました。

 見た目じゃない、何かがあるんです。勿論対策はいろいろ考えて、朝の体操をヨガに変更しました。トレーニングでは左半身を少しだけ多めに筋トレするようにしています。今年の冬はカイロはせめて半分にしたいと思います。

 便秘は昔からあったのですが、『紅あずま』の出回らない暑い夏は、ちょっとやそっとの対策では効かなくなって、乳酸菌飲料も飲んでみたのですが、甘くって太るし、で、行きついたのが、ユーチューブでの朝ヨガの後に、『便秘対策の動画』を見てまねる。この『便秘対策の動画』はウクライナの戦況報告の合間にも時々見てやっています。

 これが『老化』というものでしょう。

2024年9月21日土曜日

 骨密度 パート3、変わりなくD判定

  1か月半たっていたそうですが、またメグミルクさんが骨密度を量りにトレーニング施設に来てくれていました。でも、買いもしないのに測ってもらうのは気後れして、その日はやり過ごして、翌日も来ているのを見て、恐る恐る、「買わないんですけど測ってもらってもいいですか」と聞いて測ってもらいました。

 結果は予想通り、ほとんど変わらず、とっておいた 前回記録紙の値よりわずかに減少。さもありなん。酷暑が続いているし、乳製品は以前の半分にしているし、トレーニングは私なりに追い込んでいるし。

 骨密度に関しては、悩みであった手の痛みもなくなったし、D判定でも『変わりなければまた次回に期待』と思えたのですが、実はちょっと気になることが健診の値の中にあって、それで骨密度もD判定となると関連付けてしまって不安になるものです。

 検査項目はほとんど正常値の範囲に入っていたのですが、まだ痩せ足りないBMIがB判定、厳しすぎる基準と話題の血圧がC判定、そしてLDLコレステロール値が137から125に下がったにもかかわらずB判定、よく見ると基準値は119以下でした。大したことないと思っていたのですが、ちょっと下がったという骨密度と関連させてしまって、気になってたまらずに調べてしまいました。

 『LDLコレステロールとは何ぞや』

 まず、健診協会の説明には『悪玉コレステロールと呼ばれ、血管の動脈硬化を促進します』と書いてありました。ちょっと簡単すぎてわからない説明です。なので、検索して教えを請いました。

 『LDLコレステロール値が高いのですが、原因がわかりません。

私は40代後半の女性ですが、趣味でマラソンをしているので日々ランニングしていますし、山登りやロードバイクなどもしており普段から体を動かす事をしています。更に食生活も子供の頃からお肉が苦手でお肉を食べるのはハンバーグなど年に5回あるかないか程度です。お魚もあまり得意ではなく、基本的に野菜や大豆製品などでインスタントラーメンなんかも殆ど食べる事がありません。お酒も家では飲みません。それなのに20代の時からLDLコレステロール値だけが高くて毎年健康診断でC判定となります(>人<;)その他の数値は正常です。なのでこれ以上どうしたら数値が下がるのかがわかりません。サプリメントなどに頼るしかないのでしょうか?』と、Yahoo知恵袋に相談が載っていました。ベストアンサーは一部ですが、

『基準値が厳しすぎる。

欧州ではLDLコレステロール不問、米国では190としています。

日本のLDLコレステロール140の設定は厳しすぎます。

コレステロールは筋肉など細胞膜(脂質二重層)の補修強化に必要です。

運動とは筋肉細胞が常に補修され代謝してる状態、年配者は細胞が弱くなるので補修強化に必要で高値となるのです。

なので今の高めは体が必要と判断した量なのだと思います。』

これだけで、私は安心して先は斜め読みにしました。だって、私のLDLコレステロール値は125だったのですから。

 今、いろいろ基準値が見直されているようです。ユーチューブなどでは高いほうの収縮期血圧も160に見直されたような話がありましたが、ここでの基準値は120以下です。この基準だと私の161は当然C判定です。

 ま、ちょっと反省を交えた想像をしてみると、私の場合、『LDLコレステロール値が高く動脈硬化が進行して血管が狭くなり血圧が高くなっている』と考えることもできますから、この先、薬に頼りたくないのなら、血圧は痩せると下がるので、食事などにもう少し注意を払って、心臓に負担がかからないように努力しようと思います。それと骨密度とも関連して、骨を溶かすといわれる甘いものは今度こそ、『一日1個』。

2024年9月17日火曜日

 健康診断の結果、返ってきました、トレーニングの功罪

 前回から一年後、いやだいやだと思いながらも、今回も8月21日に検診に行ってしまいました。そして今日、9月17日、結果が返ってきました。

 「え、こんなに?」と、体重を量った担当者さんがいぶかしげな顔で私を見ました。その時、8月21日、体重は風袋を引いて67,5kg。毎日体重を量っている私は当然と思っていたのですが、記載してあった前年の体重は72,7kgだったのです。一年間でマイナス5、2kg。でもさらによく見ると、前年度は4月中旬の検査日で、約1年4か月前でした。

 あれから、体調を崩したり、冷えでカイロを貼りまくったり、いろいろあったし、家の屋根工事を機にトレーニングに通ったり、工事後は畑仕事を再開したりと、いろいろやっていたのです。

 そして検診日は、週3から4回、二時間のトレーニングの4か月目でした。今は9月中旬で、5か月目です。

 この前の6月30日の減量報告では67,9kgで納めましたが、そのあとの7月は68kg台になり、リバウンドが顕著になってきていました。でも、8月には検診の通り、67,5kgまで下がりました。まさにトレーニングのたまものです。

 トレーニング5か月目の9月も67キロ台で推移していますが、食事は小麦製品と乳製品を少な目にしている程度で、量は結構食べています。16時間断食のまねごとだけでもしたいのですが、今のところ希望だけです。

 でも、身体が変わっていくというのはよくわかります。最初のころ、骨がごつごつしてきたと思っていましたが、特に鎖骨の骨が目立ちました。いつのころか、何か呼吸が深くなったみたいと思えて、その頃から二時間のトレーニング中に休みを取らなくてもだいじょうぶになりました。

 それから顔が細くなったと感じられて、それまで悩みの種だった顔の大きなシミが小さくなっていくのに気づきました。大きくなりかけていたほくろも小さくなりました。

 顔の中の脂肪が減った感じですが、いいことばかりでもありません。皮膚を張らせていた皮下脂肪が減るとしわとたるみが出てくるのです。顔ばかりではありません。世にいう振袖など、上半身の皮膚がどろんと垂れて、上半身は特に顕著です。これに対して、筋肉量の多い下半身はさほど変わりません。ということは上半身も筋肉をつければいいということです。そう思って、最近、腕のトレーニングを多めにしているのですが、これが大変、肩こりが常態化してしまいました。4日のうち、一日用事でトレーニングにいけないという時のうれしいこと、うれしいこと。スポーツ選手はこうは言わないでしょうね。

 健診の数値は、体重が減ったせいか、すべてが下がりました。気になるところもありますが、来年は受けなくても、トレーニングを続けて体重を下げていけば、大丈夫と自信ができました。来年は絶対に受けないで、一万円と言われるその費用は寄付ということにしましょう。

2024年9月12日木曜日

 ウクライナ、ウクライナ

 ウクライナ戦争が始まったのは2022年2月24日。

 コロナもやっと目鼻がついてきたころでした。ロシア軍の横暴さとウクライナの人々の怒りを思うと、一緒になって怒り、残虐な行為が明るみに出るにしたがって、恐怖やら憤りやらが入り混じり、毎日ユーチューブの戦況報告をあさるように探してみていました。

 それは今も変わりません。ウクライナの関係者の方のツイートに「ウクライナへの関心をなくさないでくれ」というのがあったと、とっさんTVのとっさんが言っていましたが、勿論なくしません、ずっと見ています。『もし自分たちがこんな運命にさらされたらどうしようか』といつも考えながら見ています。

 不思議と恐怖は感じません。最初のころ戦車を取り囲んだウクライナの人々のように、銃後でボランティアをする人々のように、私も何かをして戦うだろうと思います。

 若いころは恐怖を感じて、第一に逃げることを考えたかもしれませんが、もう輝く未来も思い描けなくなったこの歳になると、なぜか闘争心が湧くのです。これが老人力というものでしょうか。「逃げないで、故郷で死ぬ」というウクライナの老人たちと同じ気持ちです。

 そういえば、ロシアでも侵略戦争に賛成しているのは老人が多いみたいです。そう考えると、老人は自分のものに対する執着が強いのでしょうか。自分の命よりも。

 もちろん、正義と悪の戦いの思いもあります。あくまでも国を取り戻し、共産主義を拒否して民主主義の世界で生きようと考えることは、民主主義を肯定してその世界に住む人間には当然のことです。その正義に共感するのです。悪い人はどこにでもいますが、中国やロシアの現実を見れば、悪人がはびこる、嘘がまかり通る、共産主義なんてありえない夢なのです。

 正義と悪のドラマばかり見ている老人の私には、ウクライナの戦争はその延長のように思えました。夫が亡くなって一年半後に始まったこの戦争は、遺品の片付けにもめどが立ち、老化にも気づき始めた私には、精神的にもカンフル剤のようでした。気持ちだけですが、まだ闘わなければいけないのです。

 現実世界でも、迫りくる老いと闘って少しでも撃退しなければならないのです。

 そういえば、この頃、ウクライナ戦況のユーチューブが続々見られなくなって行っています。以前より、アップが少ないなと思っていたのですが、誰かが邪魔しているようです。今日はとっさんTVが出てきません。ロシアに勝ってほしい人がそんなにいるのでしょうか。トランプさんを応援していたロシアのハッカーたちも暗躍しているのでしょうが、もうばれてしまっているから二度目は通じませんよ。

2024年9月7日土曜日

 ユーチューブ勉強 ケトン体

 ケトン体というのは、何か悪いものだと ずっと思っていました。それが何かちょっと違っていたみたいなのです。

 この間『ひまわり健康チャンネル』を見ていたら『脳の老化を強力に抑制する最強の薬ケトン体』という動画があって、見てしまいました。

 もちろん全部理解はできなかったのですが、私の理解した部分を自分勝手に解釈すると、『余分な糖は脂肪としてたくわえられる』『エネルギーがなくなると、脂肪からケトン体が出てそれがエネルギーとして使われる』『ケトン体がたくさん使われると糖尿病になるリスクや更には認知症になるリスクが減る』

 この認知症というのは、脳のエネルギー源はブドウ糖だけと、昔から聞いていましたが、このケトン体も脳の海馬のエネルギー源になって、ブドウ糖がないときは肝臓で生成されたケトン体が使われるのだそうです。そうすると切れることなくエネルギーが供給されるのでいいらしいのです。

 ということは、ファスティングを皆さんがお勧めするのは、こういうことだろうと気が付きました。つまり断食をすると足りなくなった糖の代わりにケトン体が生成される、人為的にケトン体を生成する方法なのではないかと思えました。

 片岡鶴太郎さんが、朝ヨガの後に朝食を食べて、あとは食べないとか、南雲先生が夕食しか食べないという健康法はこれを言っているのではないかと思いました。つまり、ケトン体を日常的に出す訓練をしているのかも知れないと思ったわけです。

 夕食を食べないという、以前に書いた私の90歳の友人も、毎日、健康的にプールで歩き、皆さんとおしゃべりして、ボケる気配は全くありません。

 で、私はというと、なかなかファスティングの精神力はなくって、いつも食べ物のことを考え、冷蔵庫と仲良しで、時々反省しています。

 今回のお勉強、これが私の理解できた範囲です。

2024年9月5日木曜日

 今頃ミステリー X遺伝子、Y遺伝子

 私はもちろん専門家ではありません。なので、間違ったことを書いているかもしれません。が、不思議なんです。

 女性はXX遺伝子を持ち、男性はXY遺伝子を持つと子供のころに教わりました。

 数年前に、怖いテレビ番組も見ました。確かNHKだったと思います。つまり、X遺伝子はたくさんあるのに、Y遺伝子は替えがない。このままでは劣化して男性はいなくなるのではないかという感じだったと思います。

 なるほどと思って、三歩歩いても忘れられずにいたのですが、この頃女性天皇の話が取りざたされていて、日本は今まで『男系男子』の天皇しか認められていないのです。それではたと思い出したのです。『Y遺伝子は替えがない』つまり、確実に『万世一系』を担保するには『男系男子』でなければならない。でも、なぜこんなことを二千年も前の人たちがわかっていたのか。

 さらに気が付きました。テレビで英国ミステリーを見ていると、例えばテレビドラマの『ダウントンアビー』やジエーン・オースチンの『高慢と偏見』等にもみられるようなやはり男系男子の相続制度があったようで、ビクトリア朝のころはさすがに遺伝学も進歩したのかなとも思えますが、さすがに二千年前はないだろうと不思議に思えたのです。

2024年8月30日金曜日

 カマラ・ハリスが大統領になる意義

 もともと、『アメリカ国民はどうしてトランプさんを選ぶんだろう』と思っていました。昔は『離婚した人はアメリカ大統領にはなれない』と聞いた事がありましたが、『レーガンさんのころから代わってしまったのかなあ』とも思っていました。まあ、離婚を差別するつもりはありませんし、トランプさんの人格を深く知っているわけでもありませんから、批判はしてはいけないのですが、見聞きしたところはみんな同じだろうと思います。

 そんなわけで、なんとなくハリスさんのほうがいいと思っていたのですが、ある記事を読んでから、『ハリスさんでなければアメリカはだめになる』と思い始めました。

 その発端となったのが、姪のミーナさんの証言の記事です。『カマラ・ハリス氏の強力なサポーター浮上? スタンフォード大卒、ハーバード進学の「超優秀なファミリー」が話題に』に興味を抱いて開いて読んでみたのです。結果は『なるほど』でした。

 全部をコピーしたいくらいの内容でしたが、重要部分だけを出してみると、『ミーナは1984年10月20日生まれで、本名ミーナクシ・アシュリー・ハリス。「私の母は17歳でシングルマザーになった。だから私は、彼女がロースクールに行くのを見たし、弁護士事務所で初めての仕事をするのも見た。カマラに関しても同じ。私は母と叔母が20代から世の中でパワフルな女性になるまでのほとんどの姿を見てきた」と彼女』。

 『「私の家族は、私を“人生はイケイケなガールパワーで何とかなる!”という考えを持つようには決して甘やかさなかった。『あなたは強い、あなたはパワフル』と言って育てられたけれど、『あなたは人の2倍努力しなければならない』と現実を教えることも忘れなかった。『戦わずしては何もやってこない。わけもなく与えられるものは何もない。何事も簡単ではない』と教えられた」』。

 ミーナさんは『2006年にスタンフォード大学を卒業し、2012年にハーバード・ロースクールの法学博士号を取得した。』母やおばさんと同じように法律家になった。

 『「私が学校から帰宅すると、カマラおばさんと母が若い頃よく不公平だと感じることに文句を言っていたのだけど、祖母は『じゃ、何とかすれば? ただ座って文句ばかり言っていないで、何かやりなさい』と言い返したものです』。

『カマラおばさんは常に、私が大事だと考える問題に私にしかできない貢献をするよう励まして、この教えを力説しました。ときには、選挙に立候補するよう提案してくれましたが、決してプレッシャーはかけず、他の方法で影響を与えることもできると教えてくれました」』

 この『乳がんの研究のために来たという』インド移民のカマラさんのお母さん、ミーナさんのお祖母さんの『なぜ変えようとしない』という言葉に反応してしまったのです。私がこの歳になって、一番思うこと、『考えて正しいと思ったら日々変革していく』。彼女たち一家は実行していると思いました。

 そのあと、当然のように「カマラ・ハリス」のウキペディアを見てしまいましたが、期待した通りでした。

2024年8月23日金曜日

 かわいそうなわが家の野菜たち

 梅雨が終わって土が乾き始めたら、春から朝一回していた水やりを朝晩二回にする。これが常識だと思っていました。母は確かそうしていたような。

 特にわが家は植木鉢が多いので、土の上に置いてある鉢は、根が鉢の下にも伸びるのでいいとしても、コンクリートの上に置いてある鉢は暑さでやられてしまうだろうと思って、木を組んだ上に水受けの皿を敷いて、その上に置きました。肥料を入れて朝晩水をたっぷりやれば、小さな鉢でも栄養を摂れると考えて、朝晩受け皿に残るほどたっぷり水をやりました。水をたっぷりやるというのはどなたかの聞きかじりです。

 小さいメロンが一個なって大喜び、キュウリは四、五本食べました。

 でも、暑くなるにしたがって葉っぱが黄色くなり出しました。見るからに枯れていくのがわかりました。ついにあきらめて引っ張ってみると、根がありませんでした。『これが根腐れというものか』と分かりました。

 『さあどうしましょう』、とりあえず、もう小さな鉢は買わないことにしました。水やりは、夜一回にして、よほど乾いている時だけ、朝少しやります。受け皿は外して、水はけをよくし、等々、失敗から学ぶことは大でした。

 地植えなら、あまり水やりはいらないみたいです。裏の畑では、土の表面はいつも乾いていて、夕方葉っぱがしおれていても朝にはしゃんとしています。

 でもとにかく、暑い日に水をたっぷりやると、水が熱湯になると聞いたこともありました。至らない親の私はかわいそうなわが家の野菜に教わることばかりです。

2024年8月22日木曜日

 前を向いていること

 我ながら嫌な性格だと思っているのは、後悔しか思い出さないし、それもちょくちょく思い出すことです。だからいつもうつ傾向で、人と会うことを嫌います。会えば人並みに言葉を交わすくらいはできるのですが、積極的に話し込んだりすると、あとでまた後悔の種を作ってしまうので、人とは離れていたい性格です。私だけではないとも思うのですが。

 そんな私に同窓会のお誘いがありました。いつも断っているのですが、年齢が年齢だけにいつになく熱心でした。結局は行かなかったのですが、その後、昔親しかった幼馴染が二人、電話をかけてきました。最初に幹事役から「電話をしたいといっている」と言われたときから『なんと言い訳をしようか』とずっと考えていました。考えに考えて行きついた答えは

 「だってあの頃、私、みんなに馬鹿にされていたじゃない」というものでした。「あまり、みんなに会いたいと思わないのよ。」

 もっと言えば、豪華なお料理の向こうにそれらの顔があると思うだけで参加するなんて想像もできないのです。さすがにそうは言いませんでしたが。それに子供の頃って、みんなそうでしょうけれども、成長過程でばかやって思い出すのは後悔ばかりです。みんな違うのでしょうか。

 お二人とも、それ以上は言いませんでした。わかっていたのです。つまり、『デブ』とか『ブタ』とかさんざん言われていたころの私の事を共有できたのです。

 あの頃、私の家は特j別裕福で贅沢というわけではなかったのですが、私も弟も肥満体形になってしまいました。終戦から十数年後、上皇陛下のご成婚とか初めての東京オリンピックが開かれたころのことです。今は街を歩けば、数人に一人は肥満体形ですが、あの時代、特に田舎では肥満の人なんて、それこそ私と弟だけだったと思います。何か悪いことをして金を儲けていると思われていた節もあったのかもしれません。髪の毛に火をつけられたことや、雪合戦で男子に一丸となって雪を投げつけられたことはやっぱりいじめです。そうそう、古い校舎の床を踏み抜いたこともありました。恥ずかしい。

 そういうわけで、恥と恨みの同窓会のことは、もう忘れたいと思うのですが、懐かしい友人のことはすぐには忘れられず、何度も頭に去来するのです。さてどうしたものか。

 それで考えたのです。後ろを振り向かないということを。亡くなった同級生も何人かいるし、親しかった友人には認知症の症状があると言っていました。だから今のうちに会っておこうというのが幹事さんたちの考えのようでしたが、私は違うふうに考えました。あの時代はあの時代のままに覚えておいて、懐かしむ。でも今は、残された時間や今の環境を大事にして前に進もうと。

 そう考えると、私は大変忙しいです。朝の体操、朝食のおから米粉パン作り、一品取らなければいけないタンパク質。とっさんのウクライナの戦況分析。その他ユーチューブ勉強。体操とかダイエットとか料理とか畑とか時にはエンターテインメントとか。今やユーチューブは何でも相談できる友人のようです。

 昼は畑、洗濯掃除。時にはDIY。

 片付けながらのネットショップ。ブログ。できれば動画づくりに挑戦。

 出かけるのは、トレーニングルームとプール、孫のおもり、買い物。

 こうして忙しく前を向いて動いていると、後悔している時間は少なくなります。これが健全な生き方なんじゃないかとこの頃思います。私は今まで暇人だったのです。残された時間を思えば、後悔に時間を割いている暇はないんです。

2024年8月19日月曜日

 ミヤコ蝶々のビッグショー 「面白うてやがて哀しき」

 いつものように、暇に任せてユーチューブ散歩をしていた時のことです。この画面に出会いました。昔よく見ていた蝶々さんです。『この方、歌を歌うんかい』と思って大画面にしてみたのですが、一曲目を聞いたところで引き込まれてしまいました。それから40分近く最後まで見てしまいました。

 まさにタレントです。声量が半端じゃ無いんです。『上手!』と思いました。歌手ではないので音程がずれることはあってもご愛敬でした。歌と歌の合間には蝶々さんの人生の物語が大阪弁で面白おかしく語られるのです。私くらいの年代の人間は蝶々さんの人生はある程度は知っていました。でもこの投稿主さんの説明だと、東京の日本橋の生まれなのだそうです。『知らなかった』と思って、あとでウキペディアで調べてしまいました。

 確かに日本橋小伝馬町の生まれでした。『鈴子が生まれて間もなく両親が離婚し、1924年(大正13年)に父親と兵庫県神戸市へ移住して父親はデパートで家具の販売をしながら神戸・元町で小さな家具屋を営んだ。父は芸事が好きで、新内節を唄ったり寄席芸人を招いては宴を楽しんでいた』。やがて父親が劇団を立ち上げ、鈴子はそこの座長になり、安来節を踊り、『その後、様々な芸(漫才、喜劇、女剣舞、バレエ、三味線など)を身に付ける』。

 このビッグショーを見ていて、『頭のいい女性だなあ』と思いました。40分間飽きさせないのです。演技もできます。

 最後は南都雄二さんとの出会いと別れの話でした。これは巷に有名な話でしたが、南都雄二さんは蝶々さんの前のご主人のお弟子さんで、この前のご主人がいい加減を絵にかいたような人で、別れて一緒になったようです。修羅場だったのでしょうが、そんなことはおくびにも出しません。やがて、雄二さんも浮気をして子供さんができ、離婚して、その後も一緒に仕事をしていた話は有名です。

 雄二さんが糖尿病で5年間の闘病の後に40代で亡くなる時は、最後は蝶々さんが面倒を見たという話は知っていましたが、その辺のところも蝶々さんの気持ちとして語られていました。このショーが何歳ころのものかはわからなかったのですが、この題名の本を1980年に書いたらしいのでショーはそのあとだと計算すると、2000年に80歳で亡くなったようなので、60歳以降のようです。

 最後の歌は『雪が降る』でした。『雪は降る、あなたは来ない』という安井かずみさんの訳詞のアダモの曲です。涙を流しながら歌っていました。

 今日はこれを見られて、得した感じです。

2024年8月17日土曜日

 鉄眼の生涯

 八月は夫の命日月のため、きっといろいろなことを思い出してしまうのだろうと思いますが、苦労したことだけが思い出されて、楽しかったことはほとんど出てきません。これが娘たちにとっては違うようです。私が悪口を言おうものなら、すぐに反撃が返ってきます。ということで、悪口はブログにしか書けません。

 夫はこの鉄眼和尚に感銘を受けて、その映画製作になけなしの大枚のお金を寄付してしまいました。これが、私が宗教不信になり、宗教被害者だと叫ぶ原因にもなりました。もともとあまり関心はなかったのですが。

 今、この鉄眼禅師のウキペディアを見てみると、『鉄眼版一切経収蔵庫には約6万枚の版木が収蔵されているが、1957年(昭和32年)に48,275枚の版木が国の重要文化財に指定されている。』とあります。彼は、『1664年(寛文4年)に『大蔵経』を刊行することを発願し、1667年(寛文7年)には全国行脚を行って施材を集めた。上述の事情によって、二度まで断念したが、3度目にしてようやく施財を集めることを得、京都の木屋町二条の地に印経房(のちの貝葉書院)を開設し、1668年(寛文8年)に中国明の万暦版を基に覆刻開版し、1678年(延宝6年)に完成させた』とあります。

 この上述の事情というのが『畿内の飢えに苦しむ住民の救済にも尽力し、一度は集まった蔵経開版のための施財を、惜しげもなく飢民に給付し尽くした。しかも、そのようなことが、二度に及んだという』

 お坊さんとしては当然の生活だったと、私は穿った見方をしてしまうのです。庶民の私でさえ、『一生懸命生きるための五つの柱』を持っているのです。鉄眼さんの柱が『『大蔵経』を刊行すること』だったというだけのことです。そのために寄付を集めて回ったのでしょうが、それを飢饉に遭われた方々に施したというのも、それも二度まで。これも人として当然のことだと思います。宗教不審者の私には、鉄眼さんは坊さんとしての自分の人生を一生懸命生きただけだと思えるのです。庶民の私のように。

 それ以来、夫のお金の使い方には、苦労させられましたが、ただ一つ、いいことも思い出しました。娘たちの受験が終わった夏休み、四人でリュックを担いで、ヨーロッパの都市をめぐる貧乏旅行をしたのです。私の至らないスケジュール管理に誰も文句を言わずについてきてくれました。若さと健康があった時代の話です。

2024年8月16日金曜日

 おひとり様の話

 わが家もご多分に漏れず、別れたいと思ったことはお互いに何度もあったと思います。そのたびに、経済的不安や世間体、お互いへの責任感などでうやむやになって消えていきました。夫が80歳、私が71歳の時に夫が亡くなり、私はおひとり様になりましたが、実はほっとしている面もありました。前に書いたように『やり切った』感もありましたし、責任を解かれたという感じもありました。

 少し時間がたつと、『こうやってやればよかった』『食事療法をしっかりやればよかった』と思うことが折に触れて出てくるようになりました。

 こんな責任、感じなくってもいいのですよね、おひとり様ならば。自分の健康管理なんか自分の責任でしょ。自分の好きなものを自分で作って食べればいいのです。「体を洗いなさい」とか「爪を切りなさい」とか、私にとやかく言われることはなかったのです。

 考えると、夫もおひとり様になったほうが幸せだったのではないかと思うこともしばしばです。お互い、環境を変える勇気がなかっただけなのかもしれません。

 世間では老若男女、おひとり様が増えて、社会問題のように言われていますが、おひとり様はそんなに悪いことではない気がします。自分のやりたいこと、やらなければならないことを一生懸命していると、日々は瞬きしている間に過ぎてしまいます。4年なんてあっという間でした。

 夫は結婚してすぐに、韓国旅行に行き、そこで、ふざけて、または嫌がらせだったかもしれませんが、韓国の結婚衣装を着て写真を撮ってきました。亡くなった後に、夫の書類の山の中から見つけたのですが、私の和式の結婚衣装より似合っていました。

 だから、私も嫌がらせで、それを仏壇に飾っています。責任をその見知らぬ韓国のモデルさんらしき女性に投げてしまった感じがして、気が楽になります。

 今になってわかりますが、私には人の分まで責任を負えるようなキャパシティーはない、又はなかったような気がします。『一人で生きるべきだったのかも』とこの頃になって思います。昔はおひとり様は厳しい人生を強いられる感がありましたが、今は福祉が整って、それなりに、自分らしい人生を送れそうな気がします。夫にも悪いことをしてしまったと、またまた責任を感じてしまっています。

2024年8月12日月曜日

 物忘れ

 この頃、あまりにも多くって、我ながらショックでした。

 週四回ほど通っているトレーニングルームの電磁治療器のところで、いつものように最後の十数分をゆっくりと過ごしていた時のことです。

 隣の席にいつもとは毛色の変わった二人が座ったと思いきや、二人ともすぐにスマホを出して熱心に調べていました。

 男性のほうが、「どんどん下がっている、もう駄目だな」と何度か繰り返しました。

 隣に座った女性が、「もう何年も前からわかっていたことなのよ、こうなることは」と言いました。

 「そうだよ、アベノミクスの前、派遣が正式に認められたころからおかしくなりだしたんだ」と男性。経済に疎い私ですが、派遣で労働調整をするという働きづらい世の中には憤っていた時期がありました。

 「あの御手洗がやったのよ」と女性。

 「え、そうなんですか」と私。私にはその名前は初めてでした。「私は、政府の高官をしていたあの人」と、ここで名前が出てきません。あれほど世間で悪者にされていた『あの人』の名前が出てこないのです。「『あの人』です、派遣会社の会長になった『あの人』がやったんじゃないんですか」と訴えるように言うと、男性が、「竹中平蔵」と助け船を出してくれました。

 そうなんです。竹中工務店と長谷川平蔵を足した名前だと覚えていたのですが、全く出てきませんでした。

 「ちがうちがう、御手洗だよ、経団連の会長をしていた」

 「そうなんですか」

 お二人は下がった株価の将来を声高に嘆いていらっしゃいましたが、経済音痴の私には、そんなことは大したことではありませんでした。それよりもブログにも憤りながら書いた『竹中平蔵』氏の名前を忘れてしまったことのほうがもっともっとショックでした。

 ちなみに、あとでコンピューターで調べたお二人の経歴です。 

 御手洗富士夫、キャノン会長、経団連会長2006年

 竹中平蔵、パソナ会長、2005,小泉内閣

2024年8月5日月曜日

 隔世の感

 『変化が激しく、まるで世代が変わってしまったような感じ。「—を禁じ得ない」』g辞書で引くとこう書いてありました。まさにこの通りです。

 いつ、感じたかというと、先日、体調不良で家で退屈していた孫をドライブに連れて行って、「ドライブスルーで何か買ってあげる、どこがいい」と聞いた時のことです。孫は大喜びで、「スターバックスで、キャラメルマキアートと抹茶マフィン」と言いました。

 孫に買ってあげるのはいつも一つだけと決めてあったのですが、あまりの喜びように、「じゃあ、今日は病気お見舞いに二つね」と言ってしまいましたが、いざ入りづらい入り口をやっと探して、まずキャラメルマキアートの値段を聞いてみました。大、中、小があって、値段が微妙に違います。でもどれも5百円前後です。「ええ」という感じです。

 年金生活者は、5百円と言ったら、一食、時とすると一日の食事の値段です。また「ええ」です。『これでは抹茶マフィンは無理だわ』と思って孫に告げましたが、あっさりあきらめてくれたので、キャラメルマキアートの大、およそ600円を買いました。

 これには後日談があって、その夜、孫は眠れなかったそうで、親に言わせると、「カフェインレスの小にしないとだめだった」そうです。踏んだり蹴ったりでした。

 でも、コーヒー一杯が六百円もするなんて、まさに隔世の感です。

 もう一つ、感じたのは、パリオリンピックのテレビのレポーターが朝食を食べていて、クロワッサンの朝食セットでいかにもおいしそうでしたが、なんと三千円だそうでした。近頃の円安で、「アメリカではもう住めない」と芸能人が嘆いている図はよく見ていましたが、それはどこでも同じなようです。

 『昔、私たちが行ったときは円高でありがたかったなあ』と懐かしんでしまいました。

2024年7月30日火曜日

 ドラマの話、科捜研の女

 昔から、どこから撮っても美しい女優と言われた沢口靖子さんですが、相変わらず美しいです。この間、シーズン24の開始の前宣伝として、最初のころのシーズンが放送されていましたが、何が変わったのか、見えてしまいました。

 あの頃、沢口さんもお若くって、主人公まり子の人間関係や私生活や性格などが多く描かれていました。いかにも若い女性科学者の性格、生活でした。 

 それで24年目のシーズンを見てみると、科学とチームワークが前面に出てきて、沢口さん自身にも重厚さが出てきた感じがします。

 演技派とも見えない沢口さんが、どうしてこんなにあの『相棒』よりも長く続けていられるのかなと考えてしまいました。

 皆さんよくおっしゃいますが、真面目なんでしょうね。

 次から次へと、出てくる新しい変革を体当たりで受け止めているという感じでしょうか。

 普通の私たちの世界でも世の中はどんどん変わっていき、新しい知識や技術がどんどん出てきて、私たちは追いつくのにアップアップです。

 ましてや科学の世界は昨日の知識がもう役に立たなくなっている世界なのでしょうね。そう考えると、このドラマ自体も、常に新しい知識で変革されていきますから、決して時代遅れにならない、永遠に新しいのです。だから、人間社会がある限り、永遠に続けられるドラマなのでしょう。まさに科学の力なのです。

2024年7月26日金曜日

 骨密度 パート2

 一か月後、またメグミルクさんがトレーニング施設に来ていました。

 どうしようかな、買わないのに測ってもらってはわるいかな、でも、これだけのトレーニングの成果が見たいという欲求がありましたので、空いていたときに測ってもらってしまいました。

 前回Dだったこと、三か月頑張った、栄養に気を付けて二キロ太った、これは骨が増えたせいではないか。などと、自己弁護の与太ごとを言う私でしたが、結果は無情にも再度"D”。メグミルクさんは決心したように、「骨密度は一度減ってしまうと再生されないんです」と最後通告をするように言いました。「でもわが社のこの製品を配達で買って毎日飲むことによって、現在の骨密度が維持できるのです」。

 『ええ、本当』という感じでした。でも今回はその製品を飲まなくっても維持できたのだから、「あと一か月頑張ってみます」と言いました。

 そうしたらこの間、ユーチューブのひまわり健康チャンネルで『乳製品にはカルシウムを取り込む機能はない』『むしろその反対』という説明をしていました。化学的な細かいことは私には理解不能でしたが、『何故、特に日本では牛乳=カルシウムという都市伝説が一般的に信じられているのか』という説明にはうなずけるものがありました。

 それは戦後から始まったようです。そしてあの一世を風靡した『スポック博士の育児書』、わが家にもありました。ほとんど読んでいませんが、そこに書いてあったらしいのです。『牛乳=カルシウム』。それが戦後日本の食糧事情の悪いときに一斉に拡散したらしいのです。

 ところが、晩年スポック博士は病気になり、牛乳=カルシウムは正しくないと悟り、育児書を全面的に書き換えたようです。その書き換えたほうは日本では翻訳出版されなかったそうです。だから、いまだに日本人は『牛乳=カルシウム』だと信じているという内容でした。

 これ、思い当たる節がありました。一つはアメリカの友人、彼女の夫は太っていて糖尿病を患っていましたが、彼女は牛乳を買い置きしませんでしたし、アイスも食べませんでした。

 もう一つは私の体験。今年二月に吐いたりして、お腹の調子が悪く、一か月で3キロ以上痩せて、食生活を改善した時のことです。二月は食欲もなく容易に食事制限もできたので良かったのですが、三月、徐々に体調が回復してくると、食欲も出て、「さて、どうしようか」という段階に来た時に、『顔はしわだらけだし、工事もしなければならばならないし、とにかくタンパク質、カルシュウムを積極的に取ろう」ということで、ブラックで飲んでいたコーヒーに牛乳をたっぷり入れるようにしました。卵は毎日2,3個。などなど。

 それで、リバウンドしたのです。2キログラム。骨になっていたわけではなかったようです。

  さて、あと一か月、『グルテンフリー』と『乳製品の半減』、それに『筋トレとプールウオーキング』。さらに、夏野菜の水かけトレ、などなど、盛りだくさんで、一か月後の骨密度検査に向かいます。

2024年7月25日木曜日

 90歳の友人に学ぶこと

 彼女と出会ったのは、7、8年位前、とにかくコロナ前の、亡夫がまだプールに入れて、お互いの健康のために、週に何回か通っていたころだったと思います。

 思えばあのコロナ騒動で日常を壊され、体調不良になった人は多かったのではないでしょうか。あの時期を、ここに来れなくなった彼女はどうやって乗り切ったのでしょうか。

 とにかく、私がここでのトレーニングに参加した3か月前、彼女に再会したのです。ほっとしました。ほっとさせるような人なんです。

 何気ない調子で話をしてみましたが、彼女は私のことを覚えてはいませんでした。彼女は誰とでも気軽に話をする人でしたので、その人数も多く、当然と言えば当然だと思いましたが。

 彼女は毎日ここでプールに入り、お風呂に入り、お昼のお弁当を食べて、ヘルストロンにかかり、少し昼寝をして過ごすようでした。

 私は土日は休みましたが、彼女はここが開いている限りは休みなく来ているようです。

 ある日、彼女とおしゃべりする機会があった時、私は彼女に、私が彼女を覚えていたことを話しました。「夫を早くに亡くしたこと」「息子に先立たれたこと」「お嫁さんと女のお孫さんと3人で暮らしている」と言っていたこと、さらに、「朝と昼はキチンとたくさん食べるけれども夜ご飯は食べない」と言っていたことなどでした。

 「今でも夜ご飯は食べません」と、私の主張に同意するように言いました。

 昔一緒に来ていた夫が亡くなったことを話したりする中で、私は彼女の長寿の秘訣のようなものを感じ取ることができたような気がしました。お仲間の一人が「あの人のまねはできない」と言っていたのですが、そんな難しいことでもないような気がします。

1、まず人と摩擦を起こすようなことをしないことです。それでいて、だれとでも気軽に話をしています。

2、規則正しい生活を乱さないようにしているようです。朝は4時起き。30分の散歩と畑仕事。朝食。ここにきて、プールとお風呂、マッサージ。昼食、昼寝。夕方迎えに来てもらって、夕食は食べずに8時には就寝。

3、もともとスポーツウーマンで、バレーボールをしていたと言っていました。

4、お医者さんにはかかっているようで、血圧の薬は飲んでいると言っていました。指圧帯のようなものも使っていました。私と違って、お医者嫌いではないようです。

5、ボケの傾向は全く見られませんが、便秘はないと言っていました。

 今の私が見習えるのは規則正しい生活をするということのようですが、これとてもなかなか難しいです。少なくとも怠け心が起きたときは彼女のことを思い出して、心を奮い立たせています。

2024年7月19日金曜日

 初体験

 今になって初体験をすることになるとは思いませんでした。がしかし、体験してみないことにはまるっきりわからないのです。それは、気温37度。熱中症まがいになった話です。

 田舎のカヤ屋根で育った私は、熱い夏というのはせいぜい33度くらいまででした。それが暑い夏休みの思い出です。

 ところが、私の記憶ですが、昨年などは35度以上くらいまで行きましたよね。そして今年は七月にすぐに37度以上になりました。私の育ったところより、嫁に来たこの辺りは一度くらい高くなるのですが、それでも初体験です。

 市役所のスピーカー車が「涼しい屋内で」と声を張り上げアナウンスして回っていましたが、それでも、初体験だとどう対処していいかわからないです。しかもやらなければならないことは屋外にもあるのです。

 私はトレーニングに一日二時間通っていて、結構暑いし、汗びっしょりになるのでそのせいでちょっとふらふらするのかと思っていましたが、ある日孫が熱を出して、頭のあたりを冷やしてやると、熱が少し下がります。それを何度か繰り返して、心配して帰ってきたのですが、あとで聞いたら、風呂に入ったら少し落ち着いたと言っていました。コロナ患者も出ていたらしく心配していたのですが、コロナではなかったようです。

 そこで気が付いたのですが、下の娘は暑いとき水風呂に何度か入ったと言っていました。つまり、水を飲んで内臓を冷やすだけではだめなのです。体表の温度も下げなくては。それ以来、風呂に入れないときは、濡らしたタオルで体をふくようにしました。例えばトレーニングの後の着替えの時とか。

 それで、三連休をゆっくり休んで、少し梅雨も戻ってきて気温も下がり、体調も戻り、『ああ、これが熱中症というものか』と気が付いたわけです。

 さて、いよいよ梅雨明けのようです。7月も後半、また暑い日々が始まりそうですが、軽い熱中症の初体験をしましたので、これからは細かい対策も立てられそうです。例えば、明日はトレーニングではなく、プールにしようと思います。

2024年7月13日土曜日

 年寄りの話 なぜ今なの

 以前、松田妙子さんの講演会での言葉、『二十年サバを読む』という話をしたことがありましたが、あの頃、松田さんも、今の私と同じ75歳頃だったのではないかと今思います。

 「この歳になったらね、20歳サバを読むのよ。私だったら、20年若いと考えると50代だから、五十代で、この見識、人脈、この地位があったら、鬼に金棒でしょ。」

 その頃、彼女は確か、二つの財団の理事長をしていて、公安委員だったと聞いていました。もちろんその他にもベトナムで学校を建てるというような慈善活動もしていたと思います。

 あの頃、私は多分五十代で、何もない状態だったので、『30代か、悪くはない』と能天気に考えていたような気がします。

 それが、あの頃の松田さんと同じ年頃になって、初めてわかりました。

 あの、苦労していて、お馬鹿で、何もしていない50代の私に比べて、70代の私は格段に進化しているのです。年金生活になって時間もでき、一人になって、なんでも自分でしなければならなくなると、物事を深く考えるようになるようで、その分、知識も洞察力も増えました。人脈や地位はないけれども、『一生懸命する五つの柱』を持ち、毎日忙しく、楽しく、日々が飛ぶように過ぎていきます。

 だから『なぜ今なの』と思うわけです。この生き方、必死に生きていた50代では到底できない生き方だったのです。70代だからの時間と生活のゆとり、それゆえの見識だと思えるのです。

 そして忍び寄る『物忘れ』、バイデンさんだけの話ではありません。バイデンさんは立派な大統領です。確かオバマさんの副大統領だったのですよね。今となってはあの時にバイデンさんが大統領をすべきだったと思いますが、やはり、トランプ氏を負かした75歳ころに『気が最高』に達していたのでしょうね。『なぜ今なの』と思うくらいに。

 私としては、なぜアメリカ国民がトランプさんを選ぶのかわかりませんが、80代はやっぱり鬼門のような気がします。お二人にとっても、私にとっても。

2024年7月4日木曜日

 英語の功罪

 昔英文科だったので、それなりに英語に関係のある仕事をアルバイトとして何個かやってきました。プロになれるような強力な努力もしなかったので、やりながらもずっと劣等感を抱きっぱなしでした。

 そんな私ですが、この歳、75歳になって、ユーチューブを見るようになると、ドラマもニュースも英語番組が結構多いので、昔に比べて、英語に晒される時間が格段に多いのに気が付きます。最近になってウクライナの英語のニュースを見ていた時に、結構理解している自分がいることに気が付きました。それ以来、他に日本語のウクライナニュースがないときは半分くらいまで見てしまうので、随分と馴らされた気がしていました。

 そんな時、いつも行くスーパーで、隣に一歳くらいの赤ちゃんを抱いた女性に会いました。明らかに日本人ではない感じだったのですが、アジア人のようだったので、「どちらからですか」と日本語で聞きました。彼女は「フィリピンから」と答えました。

 ここで大きな声で言い訳をしなければなりませんが、私は時々下の娘に、「お店の前で悪口を言ってはいけません」とか、「相手がどう思うか考えてから言いなさい」とか、怒られています。悪気はそんなにないと思うのですが、頭に浮かんだことはすぐに口をついて出てきてしまいます。『歳のせい』と言い訳をしたいのですが、違います。きっと、自分の頭に浮かんだことをすぐ言うということは、自分の存在感を示したい欲求なのだと思われます。特に人里離れた田舎で育つと、こんな性格になるのではないかと思います。

 で、どんな失敗をやらかしたかというと、「そうなの、どうりで少し色が黒いと思ったわ」と言ったのです。再度言いますが、決して悪気はなかったのです。ただ、純粋にそう思ったのです。

 お母さんは悲しそうに赤ちゃんを抱きしめてキスをしていました。『失敗、心を傷つけてしまった』とさすがに反省しました。

 そこで、フィリピンの人たちは英語が公用語並みに話せるということを思い出しました。

で、英語で聞いたのです。「何年くらい日本に住んでいるんですか。」

 彼女は驚いたように、それでも嬉しそうに「15年住んでいるんです。」と答えました。

私は驚いて、「15年、15か月では無くって」と言いました。彼女は「15年です。上の息子は地元の中学校の3年生です。」と言いました。そのあと、こうも言いました。「あなたが英語をしゃべってくれて本当にうれしい。」

 私はもちろん「ほんの少しだけよ」と言いました。それから、少し「近くに住んでいるんですか」と聞いたりして、馬脚が現れないうちに「さよなら」しました。でも、相手の国の言葉で話すということは『国際親善の最初』と聞いたことはありましたが、こんなにも簡単に失敗を『ない』ことにしてくれるとは思いませんでした。

 でも、いい気になって、またぞろ『舌禍』を起こさないように反省を忘れないようにします。ただ単に相手がいい人だっただけかも知れませんから。

2024年6月30日日曜日

 減量計画、5か月目、6月30日

  工事期間に入った四月後半は、朝7時に家を出発して、ウイークリーマンションに向かい、そこで朝ご飯を食べて、それから週に3,4回は一日二時間くらいトレーニングルームに通い、そこでお弁当を食べました。夕方、孫のおもりを手伝って、7時に帰って家でご飯。規則正しいようでも忙しいと間食も多くなり、食事時間はごちゃごちゃになりました。

 もちろんできるだけ『グルテンフリー』にして種類を多くするという原則だけは守るようにして。でも、ずっと便秘のコロコロうんちでした。四月最終日の体重は66,8キログラム。0.5キログラムオーバーでした。言い訳は「筋肉ついたし、見た目よくなったから」というもの。ちょうど衣類の出し入れの時期で、昔着られなかった服がぴったり入りました。着られていた服はだぶだぶの感じ。でもよく考えてみると、体調不良の二月にどっと痩せた結果だったかもしれません。

 工事完成の五月、心労がいっぺんに吹き飛びました。一安心ですが、最後に風邪をひきました。業者さんも、一か月の長丁場で、瘦せてしまいました。もう工事はしません。写真はユーチューブに載せて弟に見てもらいます。

 『グルテンフリー』を心掛けてはいたのですが、忙しいとなんでもござれになってしまい、風邪と便秘もあいまって徐々に67キログラム台。最後、意地で66キログラム台に戻し、最終日の体重はなんとか66,9キログラム。

 野菜育てに戻った六月。トレーニングのおかげで、動きは楽ですし、お腹も凹みました。

 週に3、4回はトレーニングにも孫のおもりにも行って大忙し。なので再度始めようと思っていた16時間断食は難しくなりました。量の制限はあまりしないで、『グルテンフリー』を中心に据えて、トレーニングのためにたんぱく質、カルシウム多め、甘いものはできるだけ手作り。朝は手作り米粉パン二枚。でも他のものもたくさんあります。昼のトレーニングの時はおにぎり弁当。おかずはタンパク質と野菜。夜はふつうにたくさん。相変わらず勧められた間食はいただきます。

 と、これで完璧と思っていたのですが、完璧だったのは栄養価のほうで、中旬にはしっかり67キロ台に定着してしまい、時には68キロ台にもなりました。筋肉量だよと言ってくれる人もいますが、さすがに反省しました。

 しかし、16時間断食にも戻れず、カロリー計算もできず、歯医者さんに通ったり、硬いものが手の骨にあたると痛い、多分これが骨密度の低下の症状だと思うのですが、そういうことを考えるとカルシュムのための牛乳、チーズ、ヨーグルトなどは外せなくなり、トレーニングのため、タンパク質は毎食一品、卵は必需品で毎日ゆでておいて二個以上食べています。『まるでアスリートだ』と野球選手やマラソン選手の記事を思い出しています。

 それで最終日は67,9キログラム。一か月で1キログラム増、五か月だと2,0キログラム減。目指したヘルスラボさんのように5か月でマイナス10キロとはなりませんでした。

 もう一つ、考え出した原因は、『夏になったから』というものです。毎年夏になると体重が増えるのですが、たぶん水分を多めにとるからだと思います。体内に水分がないとトレーニングの時や暑いときに汗が出なくなります。

 老婆心ながら、秋口になると、水分の取りすぎで体調不良になりますので要注意。

 『でも』、と言い訳させてください。急激に痩せると本当に顔がしわだらけになります。

2024年6月19日水曜日

 仕事と自己肯定感

 トレーニングでも、ランニングマシーンは苦手で、お勧めの運動メニューでは15分、20分と書いてあるのに、私は10分するのが限度です。忍耐力がないのです。特にただ走るだけ、歩くだけというのは我慢を強いられているようで辛いのです。

 これは今までした仕事にも言えました。事務の仕事、あまり仕事がなくって、暇でいい仕事なはずでしたが、飽きてしまって耐えられなくなって辞めました。そういう仕事は自分で探して、つまり仕事を作り出してしなければならなかったのかもしれませんが、そういう創造力もなく、与えられる仕事を待っていることに耐えられなかったのでしょう。

 これでは仕事になりません。

 自分の社会性の無さを、よく対人恐怖症だなどとうそぶいていますが、じゃあ、どんな仕事だったら皆さんのように長く続けられたのだろうかと考えると、なかなか思い当たりません。

 今、よく見ている刑事もののドラマの中の刑事さんはどうだろうかと考えても、チームワークを必要とする刑事さんが私に務まるかどうかは疑問です。学校の先生もしかり、チームワークの仕事です。医療ドラマは怖くって最初から見ません。一対一で切ったはったは最初から逃げ出したい気分です。多分毎日が後悔の連続でしょう。つまりは、責任を伴うような仕事からは逃げ出したいのです。

 では、『科捜研の女』などで有名な監察医さんなら、相手が相手だから痛いと恨まれることもないからできるかも知れないですが、これは後でうなされるかもしれません。それに、科学的な勉強は苦手な部類でした。

 対人恐怖症などと言っていますが、本当は人間が苦手なのかもしれません。動物も苦手です。今は必要に迫られてやっていますが、運動も苦手。

 今、趣味としてやっているのは、洋服のリフォーム、家のDIY、ブログ書き、ドラマ鑑賞、必要に迫られて、野菜育て。こう見てみると、私は何か、一人でもできる職人さんになったほうがよかったのかもしれません。でも、仕事のできる職人さんはやっぱり、他の職種の職人さんとのネットワークの中で働いているようです。

 一人でできて、生活できる職業なんてあるのでしょうか。つまりは、人と関わらなければ、お金にならないのです。

 そんな中で、自己肯定感を持てることが大事なのではとこの頃思います。つまり、自分のやっていることが大事なことで、人のために役に立っていて、ちょっとの後悔や不協和音もみな忘れさせてくれる、それ以上に充足感を持たせてくれる、それが自分に可能な分野の仕事だったら、そこが妥協点ということでしょうか。この間の東日本大震災で、助けてくれた消防士さんのようになりたいと言っていた子がいましたが、そこにやる価値を見つけたということでしょう。

 今頃わかっても何の役にも立たないことかもしれません。もっと若い時に考えるべきだったのでしょうが、わからなかったより、いいことは確かです。

2024年6月9日日曜日

 骨密度

 このところ、手のひらの薬指のところが、車のハンドルにあたって痛いのです。以前にもそういうことはあったのですが、いつの間にか直っていました。

 でも、今回はトレーニングでマシンを使うので、その握りが原因ではないかと思えて、握るときに何かクッションのようなものを当ててやろうと思っていた矢先、トレーニング施設に骨密度と血管年齢を測る、メグミルクの宣伝隊が来ていました。

 骨密度は、昔測ったことがありましたが、ほとんど平均値でしたので、今度も当然何ともないと自信をもって測ってもらいました。ところがびっくり、五段階で下から二番目のⅮでした。あと少しでスカスカというところでしょうか。

 計測してくれた指導員さんいわく、「骨がスカスカになると、転ぶのが一番怖いですから、転ばないようにしてください。腰でも打つようなことがあると、歩けなくなるケースもありますから。」

 『そういえば、この間、孫と縄跳びをしていて、転んだっけ、あの時ヒヤッとしたなあ』と場面が蘇りました。

 私が一生懸命トレーニングをして、食事にも気を付けているといいましたので、メグミルクは勧められませんでしたが、いろいろなことが思い当たりました。

 前回、骨密度が気になったのは、50代のころでした。そのころ、忙しく仕事をしていて、ちょっと立ち上がろうとすると足の裏が痛かったのです。立ち上がりだけでしたが、たぶん、これが骨密度の減少のせいだろうと思って、少し暇になった頃合いを見て、プールに通い始めました。そしてすぐに痛みはなくなって、骨密度のことはすっかり忘れていたのです。

 でも、今回、手のひらの痛みだけではなく、足の違和感もあったと思い出しました。昨年の冬、足が冷えて、電気毛布のほかにカイロも入れていました。『血圧が高いせいでいろいろ不調が出てくるのかな』と思っていたのですが、『骨密度が低いせいで、血液の流れが少なくなっていたのかなあ』と思えてきました。

 同じ70代後半ののトレーニングのお仲間が、「私もⅮだった」と言っていましたが、彼女は膝が痛いから、トレーニングやプール歩きをしているそうなのです。そうなると、私も怠けてはいられません。確かに運動をした後は、180くらいあった血圧は150から160くらいまで下がります。つまり、運動で血液を押し出す力が強くなって、血管が拡張されるということでしょうか。足の冷えはまだありますが、努力の結果としてこの頃、皮下脂肪が薄くなって、骨がごつごつしてきました。と、同時にしわとたるみがどっと目立ってきました。

 加藤茶さんの奥様の加藤綾菜さんがスタイルを保つために「この歳(30代後半)になって食事の制限をするとしわが増えるのでしない」と言っていました。つまり運動だけということでしょうか。私もこれ、実感でわかりますが、更に私の歳になると、運動だけでも、皮下脂肪が落ちるとすぐに皮膚がしわになります。でも、来年の冬はつらい足の冷えはもう御免ですから、頑張ろうと思います。タンパク質もカルシウムもできる限りとるようにして。

2024年6月3日月曜日

 共鳴

 ネット古本屋の事件もストレスでしたが、古屋の住居工事も結構ストレスでした。特に社会に接することの少ない対人恐怖症の私は、毎日緊張して、ある程度興奮状態で、次々にすべきことを考えながら、活動していました。

 なんとか一か月、最後に風邪をひきましたが、持ちこたえられたのは、一緒にウイークリイマンションで過ごし、ご飯も作ってくれた娘がいたことですし、工事中の時間をつぶすために行き始めたトレーニングルーム、そこでの同年代の人たちとの他愛のない触れ合い、孫たちのお守などのおかげだったと思います。

 そして何よりも心を解き放ってくれたのは、不遜な言い方かもしれませんが、ウクライナで戦っている人たちがいて、私は何もできないが、心から応援しているんだと思うことでした。

 朝はとっさんTVを見て、慰められ、夜は、戦況図を見て、落ち込み、世界はなぜもっと応援できないのだろうと憤りました。宗教戦争と違って、善と悪がはっきりしているのにです。

 これって、心が共鳴するということじゃないかと思います。ドラマを見て留飲を下げたり、涙を流したりすることと同じです。昔英文科で、確か「カタルシス」というのだと聞いたような気がします。

 これが本当にストレスを和らげてくれました。つまり人間には正しいことに共鳴したり、正しいことをしたいという欲求があって、それができているときは心穏やかでいられるのかもしれません。つまり、自己肯定感ですね。

 特に日本人にはそういう遺伝子があると、これはユーチューブ勉強で見ました。本当かどうかはわかりませんが。

2024年6月2日日曜日

 一生懸命する五つの柱のはなし、夫に教わったこと

 私の五つの柱のうちの一つは、ネット古本屋です。これはお金もかかわってくるので、私が社会に接している唯一つの窓です。なので過去にも摩擦は何件かありました。でも、今までは相手方の寛容さと私方の無神経さであまり大きなトラブルにもならずに10年以上やってきてしまいました。

 ところが今回、大問題が起こったのです。「あげた本なので取り下げてほしい」というおしかりのメールが入ったのです。確かに亡夫がいただいた本でした。

 「でもね」と反発心も起きます。

 コレクターの夫が集めたわが家の本は二部屋、三部屋がいっぱいになって物置にまで入っていました。それを捨てたり、古本屋さんに持って行ってもらったり、それでも捨てられなかった夫が残した本で、二部屋分を占領していました。そこに昔英文科の私のもう使わない本。昔ものの私たちは、本は読まなくなってもなかなか捨てられなかったのです。

 それでネットで売り始めたのです。

 社会生活をしていると、どこにでも、トラブルはあるものです。工事期間中でもあり、さすがに慌てました。

 そこで、思い出したのです。昔、交通事故を起こしたときに夫に言われたこと。「起きてしまったことは仕方がない、そのあとどう対処するかが大事。落ち着いて誠実に対処することだ」。不遜な私が40年以上の結婚生活で、夫に教わった数少ないことの一つです。

 それで、取り下げて、『研究書だったので、どなたかのお役に立つかもしれない』と思って売りに出してしまったことへのお詫びとともに「お返ししたい」とメールを送りました。

 実質的にメールの返事はなかったのですが、奥書に書いてあった住所に発送しました。しかし、すぐに宛先不明で返ってきてしまいました。

 「取り下げて、廃棄してほしい」ということだったのだなと、住所を教えてくれなかったことなどを考えると、わかりました。

 出戻りは望まれなかったようでした。でも、夫の言に従って、じたばたとできるだけのことをしたことは、自己満足ですが、『誠実に対処できた』と思えてほっとしています。

 社会って、そういう摩擦の繰り返しのような気がして、いつもびくびくして生きている感じです。

2024年5月20日月曜日

 東北の人

 西村京太郎さんが、1981年に第34回日本推理作家協会賞(長編部門)を受賞したという『終着駅殺人事件』をTverでみました。十津川警部シリーズです。それで西村さん自身が東北の人なのかなと思って調べてみましたら、十津川警部と同じで東京の人でした。

 そのドラマでは、亀井刑事が青森の出身という設定になっていて、東北の人の特徴を代弁していました。情に厚くって、約束は守る、助け合う、ちょっと人恋しいなどなど。

 私も最近、この『東北の人』の話を聞いたことを思い出したのです。

 場所は、工事期間中に通っていたトレーニングルームでした。前にも書きましたが、ごみ焼却炉の熱を利用したプールとお風呂があって、以前はデイケアセンターだったところがトレーニングルームに変更されたという公立の福祉施設なので、お年寄りがたくさん通ってきていて、バスの便もあり、皆さん、お風呂やプールを利用したり、トレーニングルームを利用したり、休憩室でテレビを見たり、囲碁をしたり、講座に参加したり、時間のある人はお弁当を食べたり、昼寝をしたり、ゴールデンウイーク中はお子さん連れも何組かいましたが普段はそんなに込み合ってもいません。

 そこでよくお弁当を食べていた同年代くらいのおばあさん二人と話をしたら、二人とも東北の人だったのです。

 一人は山形の人で、山形で工場労働者として働いていたが、老年になり、息子がこちらで働いているのでこちらに来たと言っていました。でも、悩みがあって、「一日のうちの長い時間をここで過ごしているのだが、なかなか皆さんと打ち解けられない、言葉が違うからかな」と言っていました。確かにもごもごと話す感じでした。「山形はいいよ。雪は多いけど、雪下ろしなんかみんなで手伝って。」

 『ああ』と思って言いました。「茨城は東京に近いし、昔から話し方が喧嘩しているようだと言われるからね。」

 もう一人の人も嘆きました。「初めて来たとき、隣のうちの庭が草だらけだったのよ。それで入って草を取ってあげたら、そこのご主人が『人の家の屋敷に入って余計なことをしないでくれ』って言って怒鳴り込んできたのよ。」これもありそうなことだと思いました。それでいいました。「茨城は豊かなのよ。だからみんな、人に助けてもらわなくっても生きていける。威張っているのよ。人に頭なんか下げない。」その人は青森の人で、やはり次男がこちらで働いているのでこちらに来たけれど、長男が受け入れてくれるなら青森に帰りたそうに言っていました。

 みんな生まれ故郷を離れて生きていくのはさみしいのでしょうね。

2024年5月19日日曜日

 歴史に習う愚

 『歴史に習う』という言葉は良いことだとずっと思ってきました。これも洗脳でしょうか。

 でも、この頃気が付いたのです。習近平氏は毛沢東になろうとしているし、プーチン氏はエカテリーナの領土を取り戻し、スターリンになろうとしている。国の指導者として国民のための新しい道を模索しようとしていないのです。しかも教育で、自身の正当性、国の支配の歴史を教え、国民の頭を洗脳し、古き良き時代に引きずっていこうとしているのです。

 工事期間中も、ウクライナの戦争は気になって、毎日ユーチューブで戦況を追っていました。ちょうど弾薬が枯渇し、苦しい時期で、目を離すことができなかったし、何かに集中していると、現実のストレスが紛れました。

 プーチン氏のプロパガンダや反対派の抹殺行為を見ていると、まるで大戦時の日本のようだと時々思うのです。あの時、戦争に反対して拷問を受けた人々のことを歴史の教科書で学びましたが、あまり自分のこととして考えていませんでした。父は戦争に行き、苦労したようですが、終戦に近かったのが幸いしたようです。伯父はノモンハンで戦ったということで足に障害を負っていました。親戚の人は中将だったといい、尊敬されていました。それらを見ていると、むげに「戦争は・・・」というような意見を言うことははばかられました。

 今はまるっきりの外野の見方として、「侵略戦争は悪だ」と言えます。でも難しいですね。中には「移民も侵略戦争だ」と考える向きもあるのです。実際、ロシアやベラルーシは国境に大量の移民を配置して、隙あらば入り込ませようとしているようですし、今回も「ウクライナに住むロシア系の人々を守る」という侵攻理由でした。

 そういう目的で北方領土にもロシア人を移住させているのでしょうし、旧ソ連の国々にも移住させているのです。これはロシアだけではなく、イスラエルもやっているのです。「そんなことしなくっても、なん百年か後には、世界は溶けているか、一つになっているかなのでしょうに」と思いますが、どうしても自分の夢を遂げたい人がいるのでしょうね。

 昔、あるところで働き始めたとき、そこにある機械を使ってやっと書類づくりを覚えたと思ったら、新しい機械が入ってきてがっかりしたことがありました。またなんとか覚えたら、また新しい機械が入ってきたのです。同じことが社会でも言えました。やっと取引先の名前を覚えたら、大幅な改変があり、会社名から部署名まで全部変わって、どこだっけというようなこともありました。

 機械でも社会でもそうなんです。止まってはいないのです。ましてや昔に戻るわけがない。歴史は私たちが歩んできた道で、現実は歩んでいく新しい道です。習うことはあるかもしれませんが、現実を受け入れ新しく工夫して開拓していく気持ちはもっと大事なような気がします。

 で、私はどうしたかというと、まもなくその会社を辞めました。進取の精神に欠けていてついていけなかったのです。

2024年5月18日土曜日

 不登校と洗脳

 工事期間中に、見たあるテレビ番組で、不登校を経験し、学校ではない受け入れ施設で過ごした五人が、高校課程を終了して、それぞれ進路を決めた理由を語っている場面がありました。

 工事期間中で忙しかったせいもありますが、どこの局のどんな番組だったか、PTSⅮの番組もそうですが、まったく覚えていません。たぶんNHKだったと思って検索で調べてみて、『NHKスペシャル「“学校”のみらい」』だろうと思いました。

 検索した記事には『文部科学省によると、病気や経済的な理由を除き、1年のうち30日以上、学校を休んでいる状況を不登校といいます。

さらに、「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しない、あるいはしたくともできない状況である」として、「不登校を『問題行動』と判断してはならない」と文部科学省は通知を出しています。』2016年のことだそうです。

 遅かったなあと思います。私には間に合いませんでした。私は真面目に学校に行ったのです。そこで基礎的なことも学びましたが、いわゆる「切磋琢磨」を美徳とする競争心も学んでしまいました。『人よりいい大学、人よりいい未来』。

 最近学校の近くを通ると、「○○君、国体○○種目優勝」などと書かれた横断幕をよく目にします。励ましているのでしょうが、これって『洗脳』じゃないかと胸が苦しくなる思いがします。誰もができることではないのに、努力をすればできるんだよとささやいているのです。

 また最近戦時下のロシアで学校教育を使って戦争の正当性を教え込んでいる、子供たちを洗脳しているという話が時々出てきていますが、学校って、そういう教育もできるのです。日本を加害者として教育しているという韓国の教育も時々話題になります。そういう意味では教育は何でもできるのです。

 番組は、その後フリースクールの話になり、更には次のような取り組みにも触れられたようです。

 『子どもが主体の学びづくりを目指して、大きな改革に取り組む山形県の小学校。ここでは授業の2割を、「子ども自身で学ぶ時間」に変えました。ひとりひとりの興味や関心をきっかけに、「自ら学びに向かう力」を育てようとしています。』

 これって私が最近、この歳になって気づいた『自学』のことではないかと思いました。私自身は、あの一貫した学校教育の中で追い立てられるように過ごしていて、自学をする勇気もゆとりもなかったと思いますが、『バカだったんだ』と今になって思います。

 私が見たのは、最初の部分で書いた、不登校になり、いわゆるフリースクールで過ごし、卒業した五人が進路について話している部分でした。皆さんそれぞれ、しっかりした理由をもって進路を決めています。はっきりは忘れてしまいましたが、「これが好きだから」とか「これに感動したから」とかだったと思います。生きていくために自分が何をするべきか、何ができるかを会得していたように見えました。不登校になってまで抵抗する地頭を持っていたから、洗脳されづらかったのではないでしょうか。

 私の時とは全く違います。私は「いい大学に入る」ために一浪したのです。その後の目標は何もありませんでした。バカだったんです。ほかに言いようがありません。

 考えるに、今の私がこれに気づけたのは『ユーチューブで勉強』ができるということがあるかもしれません。本当の社会を教えてくれているような気がします。

2024年5月16日木曜日

 PTSⅮ、心的外傷後ストレス障害

 いつものように何げなく見ていた番組で、私の対人恐怖症の原因らしきものがわかりました。脳にPTSⅮを起こす何かがあるらしいです。何かやってしまったことに恐怖を感じて、「悪いことばかり、後悔ばかり」考えてしまうのです。これ、考えなくてもいけないのでしょうが、強く感じてしまうと、前に進まなくなってしまいます。

 でも、今はこの歳になれば、年金のおかげで、働く、つまり人と関わらなくても生きていけるので楽です。

2024年4月18日木曜日

 親方

 工事屋さんが下調べに連れて来た塗装屋さんはとても愛想の悪い人で、挨拶をしてもニコリともせずに頭を下げるだけの人でした。

 二回目に来た時、「ここを最初にやった人は浅野さんという親方でしたよ」と私は思い出したように言いました。そしたら、それまで下を向いて作業をしていた塗装屋さんが、顔を上げて嬉しそうに「浅野さん」と言いました。それだけでしたが、反応があったのです。

 塗装屋さんに反応も挨拶もニッコリもコミュニケーションも必要はないのでしょうが、私としては『つかみはOK』という感じで、なんとなくうれしくなりました。

 浅野さんとは、45年前にこの家を建てたときの塗装屋さんで、もうとっくに亡くなっているとは思いましたが、『きっと知っている』という自信があったのです。なぜなら、あの頃、車二台分くらいのお弟子さんをいつも引き連れて仕事をして回っていたらしいのです。

 遅ればせながらこの年になって、『人間は自分にできると思う仕事をもって、生きていかなければならない』ということをわかり始めて、『学校ではそんなこと教えてくれなかったなあ』と思ったり、『私が考え無しだったんだろうなあ』と反省したりの日々だったので、浅野さんとお弟子さんの関係を思い出すと、浅野さんは自分が体得して得た知識と技術をまるで先生のようにお弟子さんたちに教えて、独り立ちさせていったんだろうなあと思えてきたのです。もちろん肉体労働できつい仕事だから若い労働力も必要だったとは思うのですが、あのお弟子さんたちの多さを見ると、このあたりの塗装屋さんたちは、みんな浅野さんのお弟子さんたちなんじゃないだろうかと思えたのです。

 「うちは、二回目も浅野さんでしたよ」と、水を向けてみたのですが、もう塗装屋さんからの反応はありませんでした。

2024年4月14日日曜日

 減量計画、2か月半、4月14日

 胃のあたりの不調もあって、2月の一か月目は3キロ超減量でき、66,3キログラムでした。

 『臨機応変に』と 自己擁護していた3月は、自分に大甘になって、変化なし。66,3キログラム。それでもリバウンドしなくて良かったです。クマが冬眠から覚める季節は暖かくなり、おなかがすくようです。先は長い。でも春先の不調や胃の不調の軽減にも大甘は必要だったかもしれません。

 屋根工事の四月は、工事前から家の周りの片付けなど、忙しく駆け過ぎて体調を整えるのが精いっぱい。まず食事時間がごちゃごちゃになり、16時間断食はお休みで、できるだけ1500キロカロリー以内というカロリー計算をしました。それと途中から『グルテンフリー』にしました。ちょっと食べすぎて体重戻り気味。

 年寄りは瘦せづらいです。それよりも、3キロ超減ったと喜んでいた不調の二月と大甘にした三月、私の顔はしわだらけシミだらけでした。ユーチューブでしわ対策などもしていたのですが、その効果か、それとも一キロも減らなかった三月の大甘の食事のせいか、四月には徐々にシミが薄くなり、しわも少し浅くなった気がします。月一キロ減るか減らないかと気を揉んでいる程度が適切なのかもしれません。言い訳!

 便秘は相変わらずでしたが、一つ発見、夜よく眠ると、排便にいいみたいです。だから、夜よく眠れるように、頻尿の改善などユーチューブを見ながら体操をしました。高血圧の改善にはサプリメントより猫背を改善して、呼吸を深くできるようにするのだそうです。

 さて、明後日からいよいよ工事開始。一か月間、慌ただしい日々が続くことを覚悟して緊張しています。

2024年4月9日火曜日

 近頃のユーチューブ、グルテン

 ユーチューブには美容とか、ダイエットとか、体操とかがたくさん出ています。私がちょくちょく見るものだから、それらは去る気配も見せず、時には面倒くさいと思うほど次々に現れてきます。

 そんな中、『パンを止めたら、10日ぐらいで3キロくらい痩せた』というのがありました。

 『えええ』と思って、見てみると、グルテンには満腹中枢を馬鹿にする脳内麻薬があるのだそうです。また『えええ』です。だって、パンは便利です。チーズとトマトを乗せればピザになるし、小腹がすいたときに、甘いものを乗せれば、おやつにもお菓子にもなります。卵と生野菜を入れてお弁当に持っていこうともしていました。

 でも、思い当たることもあるのです。私が子供のころ太ったのは、絶対にカレーの食べ過ぎだったのです。それと、私は外食するとてきめんに太るのです。食欲がぐんと上がるのです。今まではそれは化学調味料が使われているからだと思い、家では無添加の調味料を選んで買っていました。でも、外食で私が選ぶのは、ドリアだのピザだの、コロッケだの家で作るのが面倒なメニューばかり。グルテンたっぷりだったのです。

 それと先日の胃腸の不調の時、食べる量がどんと減りまして、体重は下がったのですが、その後少しづつ体調が戻るとともに、おなかも空きだして、パン半分のはずが一枚になって、それでもおなかが空いていました。おなかが空くということは脳の問題で、『わかっていてもやめられない』のです。

 これはいいことを学習させてもらいました。家には、まだパンもあるし、小麦粉もありますが、少しずつ消費量を落としていこうと思い、今日はてんぷらを米粉で作ってみました。作ってしまったジャムはどうしようと考えて、てんぷらに乗せてみました。結構いけます。

パンじゃなくってもいいのです。

 米粉パンという手もあります。市販のルーを使うシチューとか、カレーとか、私はもう作りません。娘が作ったら、少しだけお相伴するだけにしておきます。うどんとかそばとか、幸いにも私は長物は好きではありません。これもお付き合い程度。

 さあ、気を取り直して、人生また出発です。

2024年4月5日金曜日

 工事前十日、四月五日

 振り込みの口座番号も今日までに届いて、工事屋さんも頻繁に下調べに来るようになりました。

 代金は三回に分けて振り込むと言いましたが、さて、いつ第一回目の振り込みをしましょうか。最初は工事開始予定の16日か、その前日の15日にしようと思っていましたが、こう頻繁に下調べが入ると、もう払ったほうがいいかなと思えて、不調だった胃が再びぶすぶすと不平を言い始めました。

 躊躇していたって、もう、私のできることはお任せしてお金を払うだけですから、早めに払ったほうが工事屋さんも動きやすいだろうと思って、できれば今日中に払うことにしました。

 しかし、信用して任せるということがこんなに胃の痛くなるようなことだとは思いませんでした。今回の場合、昔から知っている設計士さんも引き込んであるので、安心しているのですが、それでも、私のように、人とのバランスをとるのが苦手な人は特に、胃は痛くなります。

 こんなことをグダグダ考えている前に、仕事のできる人はサッサと振り込んでしまうでしょう。

 娘のウイークリーマンションもなんとか希望通りの安い価格のものが取れましたし、不安材料はどんどん無くなっていくのですが、それに工期は一か月と短く、一か月後にはきれいに塗装もできた家が見られるわけなのですが。

2024年4月1日月曜日

 私のDIY、弟の塀

 先日、弟が野菜を持ってきてくれた時に、私のDIYのお風呂の扉と物置を見てもらおうと思ったのですが、足の悪い弟は「地下足袋をはいているので、脱げないから上がれない」というのです。で、結局、見ずに帰ったのですが、幸いその時に私のDIYの動画をアップしてあったので、お礼状に「見てちょうだい」と書いたのです。

 その後電話で「見てくれたか」と聞いたのですが、どうやら弟は見てくれたようです。個人の動画なんて、親戚しか見ませんね。

 その時に、「俺の直した塀、グーグルマップで見られるから見てみて」というのです。実家の前の道は 車一台が通れるくらいの道で、すれ違えないくらい細いのです。あそこがストリートビューで、見られるのか半信半疑でした。確かに見られました。弟が自慢していたほど立派ではありませんでしたが、それは言わないことにしましょう。

 さらに「今、裏の道端の植木を抜いて塀をかけることにしてやっているんだ。あと二、三年したらまた載るから」というのです。聞けば、最近転んで足を挫いたと言っていながら、やる気満々でした。

 なんとなくわかる気がしました。跡取りは遠くにいて田舎に帰ってくる見込みはないのですが、やらずにはおれないのです。「気になったら止まっていられないんだ」とも言っていましたが、私もその通りです。やる気が元気の素なのです。

2024年3月23日土曜日

 マンスリーマンション

 仕事を頼みこんだ状態で、次に気になるのは二台しかない駐車場の問題、夜ネットで仕事をしていて昼に寝ている娘の安眠の問題、家工事の煩わしさなどを考えて、外に部屋を借りることにしました。

 ところがです。今まで私は自分で部屋を借りたことなどなかったんだとつくづく思わされました。礼金敷金無し、近くで安いところ、など条件を並べてネットで探して、問い合わせをして驚きました。礼金敷金は無くなっても、初期費用というものがあるのです。保証料、鍵交換代、清掃費用、保険料等、いろいろお題目をつけて、およそ10万円。更には1、2か月間の契約はしないのだそうです。

 普通のアパートはあきらめて、一番最初に気になっていたURの賃貸も見てみました。そこはもっとダメ。収入が家賃の四倍無いと資格がないのです。そうしたら、年金暮らしの年寄りは、門前払いで問い合わせすらできないことになります。改めて、家があってよかったと思いました。

 他にもいろいろ考えたのです。ネットカフェ、近くにあります。ネット使い放題、食事もできる。でも毎日では飽きるでしょう。ジプシー生活、今日はこの町、あの温泉。山の上のキャンプ。これも疲れそう。

 それで行き着いたのが短期滞在型のマンションというわけです。これは近くには無くって、近年沸騰している隣の市にたくさんありました。その中でも安いのを探して、工事期間が決まったら申し込みをしようということにしました。これで昼間寝ている娘の部屋を確保。

 私は夜は家で寝られるので、昼間は外で活動できるのです。で、昔行っていた公立の温水プールを思い出しました。そこにはお風呂と休憩室もあって、半日くらいは時間をつぶせると思っていたのですが、調べてみると、さらにトレーニングルームが新設されたようです。昔そこにはデイケアセンターがあったのですが、そのデイケア施設が無くなってみんなの使えるトレーニングルームになったようです。

 で、これはいいと思いました。ここは同じ市内でも家からは遠いのですが、隣の市に近いのです。途中にはショッピングセンターもあって片道30分くらいの範囲です。

 午前中、トレーニングをして、昼をそこで食べ、少し休んでプールとお風呂。昔行っていた時に、朝バスで来て、午後バスで帰るまで、プールとお風呂とお昼とおしゃべりを楽しんでいるおばあさんがいましたが、あの人は今でも元気に来ているでしょうか。今度、下調べに行ってみましょう。

2024年3月16日土曜日

 屋根修理

 先日郵便局で声をかけられなかった知人のご主人が、「俺が亡くなった後もこの家に一人で住むつもりなら屋根を直しておいた方がいい」と言ったという言葉が思い出されました。

 わが家も、娘と私、あと二十年この家に住むなら、屋根の雨漏りとハクビシンの穴だけはふさいでおかなくてはなりません。でないと、屋根裏が気になって暖房もかけられません。そう思いながら、ここまで来てしまいました。

 下は何とかDIYで娘と二人でできる気がしていますが、屋根は無理でしょう。欲を言えば、隣にまで雨水が行ってしまう屋根の構造、断熱効果をもっと高めるような、ペンキの塗り替え、カバー工法、相談したいことは山ほどあります。

 いよいよ四月が近づいて、決心して、昔夫がお世話になった設計士さんに電話をすることにしました。その前に友人に4年ぶりに電話をして、まだ彼は仕事をしているだろうかと聞きました。みんな私と変わらない年なのです。

 ある日、自分を鼓舞して電話、これもチャレンジです。

2024年3月12日火曜日

 70代後半、声をかけられなかった

 いくら臆病な私でも、70代前半にはこんなことはありませんでした。夫が亡くなって4年半以上、遺品整理をしながらの日々は忙しくて、あっという間でした。

 やっとこの頃時間もできて、四年前、頻繁に電話をかけてくれた友人のことを時々思い出すようになりました。ここ、ニ年ほど電話が来なくなっていたのです。

 最後の電話では、「主人の腕にすがって散歩してきた」と言っていました。いつも面倒見のいいご主人のおのろけばかり聞かされていたので、「またのろけて」と体調の変化等信じませんでした。彼女は私より二歳ほど年上でしたが、高校では体操クラブで、平均台等得意種目だったと話していたことがありました。運動クラブなど入ったことのない私がこの程度なのだから、彼女が歩けなくなることなど全く思いませんでした。でも、電話魔の彼女がここまで沈黙するのは、やはり何かあったのだろうかという思いが頭から離れません。

 何度か電話してみようかと思いましたが、かけられませんでした。この年代になるとニュースはいいことばかりではありません。歩けなくなる程度ならまだしも、認知症で忘れているかもしれません。そういうニュースは聞く方も言う方も嫌だろうと思えました。

 こんなこともありました。ある日、郵便局に車で入って行った時のことです。どこかで見かけたことのある人だなと思える人が前を歩いて自分の車の方に行きました。車は以前の車ではなかったので違う人かと思いましたが、相手もこちらを気にしているようで、やっぱり知人のようでした。私は声をかけるのはやめて、知らぬ顔をして、車を止め、マスクをしました。

 彼女は元気そうに新しい車を運転していましたが、彼女には糖尿病で入退院を繰り返していたご主人がいたのです。話をすれば当然その話題は外せないと思いました。

 この年頃になると、いいニュースは無いと思った方が無難です。

 昔懐かしい、あの顔、この顔も思い出の中に留めておいて、今身近にいる人々を大切にした方がいいのだと言い聞かせています。

2024年3月1日金曜日

 近頃のユーチューブ、『1979 Fausto Cigliano - 私だけの十字架』

 この頃、私の『好きな歌リスト』に藤圭子さんが入って、ある晩遅くまでユーチューブサーフィンをしていたところ、突然この表題が出てきたのです。いかにも優しそうで気弱そうな40代の男性がギターを持って歌っている写真でした。すぐに気付きました。『この人があの歌を歌っていたんだ』と。まさに『やっと会えた』という感じです。

 動画の下には、コメントがエンドレスのように続いていました。一番上にあったのはこれです。

『Wikipediaによると2022年2月17日、85歳で亡くなられたとのこと。素敵な歌声をありがとう。ご冥福をお祈り申し上げます。』

 私は何年か後に気が付きましたが、クロード・チアリさんと間違えていたという方もたくさんいました。チアリさんはフランス人で、この方はイタリア人のカンツオーネ歌手だそうです。

 読んでいくと、私がどこでこの歌を聞いたのかがわかってきました。私は長年、これは『火曜サスペンス劇場』のエンディング曲だと思っていたのですが、違ったようです。あのころ、1979年って、子育て真っ最中で、仕事もして、それでもテレビは見ていたのでしょう。内容はほとんど覚えていませんが、この歌だけはずっと心に残っていたのです。歌詞もうろ覚えで、何を歌っているのかも推察しかねていましたが、声と曲だけで感動していたというのが本当のところです。この歌を聞いて涙が出たという方がたくさんいました。

 そんな私のためのように、歌詞を書きとって、情報をくれるコメントがありました。

『私だけの十字架

【ドラマ:特捜最前線エンディングテーマ】

  歌  :ファースト・チリアーノ

作詞:尾中  美千絵

作曲:木下   忠 司


風が吹けば港に

船は帰りくるけど

若い愛をかわした

笑顔二度と見えない

あの人はあの人は

丘の白い十字架


星の揺れる港を

ふたり見てたあの日よ

肩に受けた口づけ

愛の形見消せない

あの人はあの人は

私だけの十字架


陽ざし揺れる港を

船ははなれてゆくけど

愛の祈り交わした

声は二度と聞けない

あの人はあの人は

風と語る十字架

風と語る十字架』

 こんな情報もありました。『何より驚いたのは作曲した人が特捜最前線の中で流れる音楽はもちろん、水戸黄門の音楽や主題歌「ああ人生に涙あり」をも手掛けたあの木下忠司(ちゅうじ)だとわかったことかもしれない。』

『この曲は作曲は木下忠司さんですが、編曲は銀河鉄道999TV版音楽を手掛けた青木望さんでした。999の哀愁がこの曲にも反映されていて、素晴らしい曲になっています。』

 この『風と語る十字架』っていい言葉ですね。情景がこれだけで分かります。

 【ドラマ:特捜最前線エンディングテーマ】となっていますが、私は二谷英明さん主演のこのドラマ、全く覚えていません。覚えていたのはこの歌だけだったのです。

 いま、フルバージョンで聞いてみると、人生を包み込むような声量と歌い方だと思います。これがカンツォーネというのでしょうか。

 涙を流しながら聞いているというコメントがいくつもありましたが、中に、昔お母さんと一緒にこのドラマを見ていて、今は一人でこの曲を聴いていると涙が止まらないというのもありました。また、「この歌は他に誰もカバーできないだろう」というコメントもありました。

 ファウスト・チリアーノで、今、ウキペディアを見てみましたが、俳優さんもやっていたみたいです。道理で、歌に心を入れるのがうまいと思っていました。亡くなるまで活動していたようです。

 これからも私の歌リストに入れて頻繁に聞きます。

2024年2月29日木曜日

 減量計画、新スケジュール4週間後、温活と断食、一か月の総括、2月29日

 以前、足の冷えに悩み、石原新菜先生の温活のすすめを見て、温活らしきことを始め、新菜先生があの昔拝読した断食のすすめの石原結實先生の娘さんだということを発見して、『へー』とか驚いていたことは前にも書きましたが、今回図らずも、腹痛で七転八倒して、南雲先生やとっさんを見習って食事の新スケジュールを取り入れ、どこかで聞きかじった、少なくとも夕食後16時間の断食をしているわけですから、『昔勉強』が役に立っている感じです。

 真ん中くらいで新スケジュールは、『ヘルスラボ』さんのアドバイスで少し修正変更しましたが、先達のアドバイスはいつも心にとめて、背中を押され、注意を喚起されて、ついに一か月頑張りました。

 お腹の不具合もだいぶ改善しましたが、今も食べると何か違和感があったりもします。でも、空腹は感じます。食べ過ぎは内臓を痛めてしまうということを身をもって知りましたので、このスケジュールでこれからも臨機応変にやっていきたいと思っています。

 4週間目の体重は66、3キロ。このままいけば、『ヘルスラボ』さんの五か月で10キロ減に届くかもしれないと希望をもって頑張りましょう。6月の梅雨のころです。

 この頃気になってバナナの皮パックまでしていた顔のシミは相変わらず、老人顔になったしわも相変わらず、血圧も二月の寒さであまり下がりませんでしたが、お腹の脂肪は確実に減り、ズボンのゴムを縮めました。悩んでいた夜間頻尿は少し暖かくなってきたせいもあり、少なくなり、いびきは、多分、睡眠時無呼吸を伴っていたと思いますが、少し改善したと思います。朝起きたときの「のどが痛い」が少なくなった気がします。後、便秘は若い『ヘルスラボ』さんのようには行かない感じです。

 今日は孫が来て、食事は昼が正餐になりました。臨機応変に。

2024年2月22日木曜日

 減量計画、新スケジュール3週間後、『ヘルスラボ・ともゆき』さんのユーチューブ、2月22日

 さすがに春一番がふいてから、冬眠していた熊さんのお腹も空きだして、『120キロカロリーのお楽しみ』を見直さざるを得なくなりました。

 夕食から16時間後の朝食というのは変わらずに、朝運動後の朝食は何か一個と飲み物にしました。例えば、バナナ一個、みかん一個、野菜一個、というふうに、多くても120キロカロリーくらいです。相変わらず、おススメされたものは断らずにいただきます。つまり間食ということですが。

 昼は運動をした後に、夕べの残り物、それがないときは、手作りパン半分、納豆半分、ゆで卵でも半分、と、なんでも今までの量の半分を食べることにしました。その代わり食材の種類を豊富にしました。カロリーにしたら400キロカロリーくらい。

  ちょっと気が付いたのですが、朝って意外とお腹が空かないのです。それに引き換え、昼は食べ物を目で探しています。意外と南雲先生の食事スケジュールは正解なのかもしれません。

 最初の2週間では、正餐は一日一度ということで、夕ご飯は、南雲先生のように自由になんでも『たくさん』食べることにしていましたが、3週間目は、普通に戻しました。4時くらいに食べると口淋しくなることもあるので、早めに歯磨きをして、早めに寝る。外食は控えて、その分お惣菜を買い、家の五分突きご飯と食べる。等など、いろいろ工夫しました。お財布にも優しいダイエットです。何よりいいのはカロリー計算をしなくていいことです。

  食事スケジュールの変更を後押ししてくれたのは『ヘルスラボ・ともゆき』さんのユーチューブ『今日から始めてほしい❗❗腸の不調を改善&活性化するマッサージを【自身の身体で】【実演】します』です。この方のユーチューブ、気にはなっていたのですが、いつもは農業のたい肥作りの話なのでスルーしていたのです。名前からすると男性っぽいのですが、写真はかわいい十代にも見える女性です。

 今回、腸の不調を改善し、お腹の割れを作ったというきれいなお腹の写真が出ていたので、見てしまいました。彼女は50歳の理学療法士さんで、この過程と独自のストレッチを紹介していました。

 先ず食事は、「決して満腹まで食べないこと」だと言っていました。お薦めのストレッチは、まさにねじりの運動です。私もねじりの運動をしていて、お腹が凹んだと喜んでいたのですが、私はいつも満腹に食べていたのです。その上での死ぬかと思うような腹痛でした。胃痛と言った方がいいかもしれません。

 彼女の場合、お腹はきれいに凹みましたし、体重も5か月で10キロくらい落ちて、便秘も無くなったそうです。とても50歳とは思えないくらい若くてきれいです。

 ちょうど、『お腹を空かせて、一日一回ドカ食いする』というのは続けられそうもないと思っていたところだったので、私は『昼を少なめに食べて、夜を普通に食べる』に変更しました。それでもトータルは1500キロカロリーくらいだと思います。

 三週間目の体重は66、9キロ。ぎりぎりでも66キロの仲間入りです。まだお腹の違和感が抜けないのも幸いしたかもしれません。

2024年2月15日木曜日

 減量計画、新スケジュール2週間後2月15日

 果たして、意志の弱い私が1週間持つかどうか、ましてや2週間持つかどうか、あまり自信はなかったのですが、曲がりなりにも、持たせました。

 朝、夕食から16時間後、コーヒー、この時、牛乳を少しを入れてしまうので、ちょっと違反気味。これで、40キロカロリー。果物または野菜、80キロカロリー。とっさんはサラダと言っていたので。

 昼、南雲先生はリンゴ一個でしたが、とっさんはギリシャヨーグルト一個と言っていましたので、閑な私はリンゴ一個分120キロカロリーの範囲内で、日を変えていろいろ作りました。便秘の時は、サツマイモとお茶。バナナ小一本。酢納豆一パック。蒸した人参、野菜。沢庵とお茶。具だくさんの味噌汁、甘酒、茹で卵。

  これが高じて、朝の120キロカロリーと昼の120キロカロリーは『お楽しみの120キロカロリー』と化し、ギリシャヨーグルト一個とか、カマンベールチーズ1ピースとかと発展していってしまいました。

 二週間目には、お腹も改善して、朝昼一緒の240キロカロリーになり、違反というべきか、自由自在というべきか。違反はもう一つあって、勧められた食べ物は断りがたいということです。

 夜は4時から5時ごろに、普通に、それでもたくさん食べました。残り物がたくさん出てしまうのです。以前は、私が必死で処理していて、それで、以前は2000キロカロリーオーバー、あるいはそれ以上食べていたのです。今は1500以下だと思います。新たに作る料理は一品だけにして、残り物を工夫して食べる。おかげで食費が減りました。

 2週間前の体重は70キロ、1 週間後は67、8キロ。一週間でー2、2キロ、このまま無くなってしまうのかと思える勢いでしたが、今、2週間後で67、4キロ、宿便らしきものが出て、お腹の違和感が改善したら減量スピードはどんと落ちて、身体が元に戻りたがっているようです。でも、とっさんが言っていました、「停滞期のあとは必ず下がるから大丈夫」。

 ここで素人推察、フラミンゴ先生が言っていましたが、「寒さで筋肉が固くなって血行が悪くなりますから、ストレッチして筋肉を弛めて血行を促進してあげましょう」。それでは寒さで内臓の血行も悪くなるはずです。だから、適切な処理能力が落ちて、余分な食べ物は消化できなくなり、私のように嘔吐してしまうのかもしれません。素人考えですが、凍死というのは、まさに血行が悪くなってすべてが機能しなくなることではないでしょうか。こういう時はクマのように、何も食べずに冬眠しているのが正解なのではないでしょうか。

 でもそうすると、今までは『120キロカロリーのお楽しみ』で、あまりお腹は空かないと豪語できていますが、これから暖かくなって、体が生き生きしてきたら、お腹も活発に空いて来てしまうでしょう。『120キロカロリーの苦しみ』が待っているような気がします。

 対策として考えたのは、食べたらすぐに昼寝をする。食べものから脳を切り離さないといけません。

2024年2月7日水曜日

 近頃のユーチューブ、シニアの筋トレと昔の映画

 『フラミンゴの介護予防チャンネル』という動画を何気なく見て、いつもの体操動画のノリでやってみました。ちょっと長いとは思ったのですが、できないこともなかったので、やってしまいました。自分では『まだ介護予防には早い』と思っていたので、『できないはずはない』と高をくくっていたのです。

 翌日、脚の筋肉の張りと痛さで、『これは効いているんだ』と認識しました。それ以来、時々見てやっています。どうも、体の中の重要な筋肉を伸ばして緩めて、血行を良くするらしいです。美容とかダイエットに関係しない分、緊張して取り組んでいます。

 もう一つ、おススメ動画に昔の映画が出てきます。主にシャーロックホームズで、アメリカ映画のようです。たまにポアロやジェレミー・ブレッドのシャーロックホームズも出てきますがこれらは何度も見ているので、見るときはアメリカ映画とテレビ版のシャーロックホームズを見ます。

 ところが、訳付き英文科には辛い、原語のままだったり、自動翻訳で、意味の分からない日本語訳がついていたりします。読んでいてもほとんどわかりません。で、覚悟を決めて、一生懸命、状況を理解してストーリーを人物たちの動きから推察します。幸いミステリーですから犯人が分かればいいのです。これで英語を学ぶ人もいるでしょうが、この歳になっては無理でしょうね。私の若いころにはこんなチャンスは全くなかったのです。

2024年2月1日木曜日

 減量計画 こだわりを持ってスケジュールを立てる

 私のスケジュールは体調不良の娘に代わって、孫の送り迎えをするのが週日のメインです。これは相手がある以上、きっちりと時間を守らなければいけません。で、その他の時間で、自分の体調管理、家関係の掃除管理をしなければなりません。

 しかし、この歳になると時間を守る仕事というのは、結構大変です。

 さすがに老化だと思いますが、ここ二、三年、血圧が高く推移しています。

 そこでいろいろ考えたのです。

 昔の経験から、痩せれば血圧が下がると考えたのです。何とか痩せたいと思い、暇があれば運動とか畑とか、DIYとかして身体を動かすようにしています。

 食事の制限はしていませんが、朝昼晩の三食で、いろいろな食材を、それも食物繊維たっぷりと言われているものを食べるようにしていました。便秘の改善にも効果があると思ったのです。

 そして最近は、寒い季節に入ったこともあり、温活を始めました。暖かい服を着る、湯船につかる、カイロを使う。

 その結果、一月の末のある日、突然腹痛を起こし、七転八倒して苦しみ、ついに嘔吐して、それでやっと少しづつ快方に向かいました。その翌日も同じことが起こり、これも吐くと治ってしまいました。

 そこで考えたのです。原因は何か。

 食事と運動の関係です。

 メインの仕事があるので、三度の食事は空いている時間、運動も空いている時間です。となると、運動、朝食、仕事、昼食、運動、家事、おやつ、運動、夕食、寝る前マッサージで、就寝となります。三度の食事どころか、四食食べていたのです。『寒さでエネルギーが消費される』とか、『夕食は娘が作ってくれるから』とか、いろいろ理由をつけて、過食を容認していたわけです。そこでさすがに気が付きました。『お相撲さんは稽古をしてから食事をする』『食事をしてから内臓をねじってはいけない』等など。お腹はずいぶん凹んだのですが。

 これにはいろんな対策があるでしょうが、私の頭に浮かんだのは、片岡鶴太郎さんの一日のスケジュール、南雲先生として有名な医師の南雲吉則氏の食生活のことでした。

 鶴太郎さんは以前にも書きましたが、夜中に起きて、ジャミセンや書道など、いろいろな趣味をして、ヨガをして、朝、自分で作ったこだわりの食事を時間をかけて食べ、それから仕事に行くということでした。反対に、以前テレビで見た南雲先生は、朝、飲み物以外食事はなしで、仕事場まで歩き、クリニックの仕事をこなし、昼にはリンゴ一個を食べ、夜は解禁して何でも食べると言っていました。

 私にはこの南雲先生の食スケジュールが当てはまるんじゃないかと思いました。昼間は運動と生活で動き回っているのだから、つまり、朝運動、仕事、昼運動、果物、家事、風呂、夕食、寝る前マッサージ、就寝。間に飲み物。そうすると夕食はいくら食べてもそんなにカロリーは上がりません。

 そういえばこの頃痩せたと言われるユーチューバーのとっさんも、朝食はサラダなどと少なくして仕事をし、昼はギリシャヨーグルト、筋トレもして、夕食は普通にと言っていました。お腹は空かないそうです。

 そういうわけで、昨日一日、実験してみましたが、お腹は空きません。腹痛も起きませんでした。これで、南雲先生のように痩せたら、目標達成です。

 間の飲み物のために甘酒の作り方をユーチューブで探してしまいました。

2024年1月26日金曜日

 イベントとプロジェクト

 知り合いの年上の方が言っていましたが、「退屈で早くお迎えが来ないものかと思う」と。彼女は週に何日かフィットネスジムに通っていて、老化によるそれなりの病気はあっても至極元気です。

 わからないこともないです。つまり人生には期待していたことは何一つ起こらないのが現実だからです。正月もないし、来福もない、あるのはただ時間の流れだけとわかったら、老人は、『どうせ何をやっても同じ』と、今までの経験で分かってしまうのです。掃除をして、風呂に入って寝る。食べものだって昔ほどおいしくないのです。

 そこで、湯原昌幸さんのお話を思い出しました。奥さんの荒木由美子さんと『徹子の部屋』に出たときのお話です。結婚直後から20年続いた認知症の湯原さんのお母様の最期を看取り、一人息子も結婚し、初めて夫婦二人きりの生活になって、「どうやって楽しく生きていくかを考えて、年に何回かイベントを企画して実行している」と言っていました。つまり、何か楽しいことを二人でするということのようです。それは旅行だったり、会食だったり、とにかく楽しいことだそうで、記録しているらしく、「今年は31回になりました」とおっしゃっていました。

 つまり、二人以上でするとイベントです。じゃあ、私のように一人のときはどうしたらいいのか、それは『プロジェクトを企画して実行する』ということになるのではないかと思います。

 私の場合は、リフォームです。洋服のリフォームはいつも頭の片隅に置いて実行していますし、先日は、娘と二人で物置のDIYをしました。そのあと、防寒対策で窓にビニールカーテンをぶら下げ、一段落、次はいよいよ、ペンキ塗りか、DIYの壁紙張りか、椅子修理か、やることはいっぱいあります。

 幸いなことに、旅行や外食といったお金がかかっても後に残らないものにはあまり、興味が無くなりました。外食するとてきめんに体重が増えるのは私だけでしょうか。そのあと、二、三日お腹がすいてたくさん食べてしまうのです。また、世界の景色は、今やユーチューブやドラマでふんだんに見られます。

 そういうわけで、いつも不満を引き起こしてくれる古いわが家と山のような古着、意のままにならない体重や健康があると、対策プロジェクトは湧き水のように湧いてきて、退屈している暇がありません。むしろ、あっという間に時間が過ぎてしまいます。老化ということを考えると、これも悲しいですが。

2024年1月16日火曜日

 ユーチューブ勉強、『群れる人と群れない人の違い』

 『そうなのよ』と思いました。まさに私の事を言われているような感じでした。私はそれを通り越して『群れられない人』という感じです。

 時々、こうして『そうなのよ』という表題に遭遇して、『ああ、これって勉強だな』と思います。

 結論からいえば、『群れない人の方が自分を持って生きていける』ということでした。

 でもです。群れられない私でも『洗脳』はあったと思います。それは教育だったでしょうか。文化だったでしょうか。

 例えば、この間書いた『大掃除のはなし』。その後、正月になり、神社の飾りつけをする人たちを横目で見ながら、『ああ、正月か』と思ったものでした。本当にほとんどそういう文化に関心が無くなっているのは歳のせいでしょうか。

 でも、昔から関心がなかったような気もします。昔、『正月は時間の流れの中の一刻にすぎない』と思ったことを思い出します。だから、儀式らしいことに関心がなく、娘が「七草がゆだよ」と言った時も、「え」と思わず叫んでしまいました。『悠久の時の流れになんの変りもないだろう』とか、そういう時、私の頭の中に、宇宙の様が思い出されるのです。『死』もまたしかりです。

 でも、やっぱり、歳のせいもあると思います。歳のせいで洗脳が溶けてきたんです。確かに昔は正月に『来福』を期待して神社に行ったこともありました。宝くじを買ったこともありました。今は全く関心がないですが。

 工藤夕貴さんが言っていましたが、「人生はまるでチョコレートの箱のように、次々にいろんなチョコレートがでてくるものだ」と。『フォレストガンプ』の中の一節だそうです。それは自分が期待していた通りにはならないということですよね。つまり、『願った通りにはならないが、それでもいろいろなことが起こる』ということでしょう。

 『福を求めない』ことと『今を精一杯生きる』ということが正解なのではないかとこの頃思います。

2024年1月14日日曜日

 病気をしない

 寒くなると特に感じますが、体の動きが悪いのです。局所的には足首の動き、全体的には歩きのバランス。夜中の頻尿が加わると、これが老化というものだろうといやでも気づかされます。

 何とか元に戻そうと、ユーチューブのアドバイスを見、運動をして、毎日様子を見ているのですが、現状維持ではあっても、昔の動きにはなれません。『暖かくなれば』と言い聞かせているのですが、今度は暑くなりすぎて参ってしまうのでしょう。

 「でも」、とここで一言。この正月、いつも見ている『とっさんTV』のとっさん一家がインフルエンザに罹ったのだそうです。おととしまで毎年のようにかかっていたとっさんは、『妻と娘を守らなければ』と思って看病していたら、自分自身はかからなかったと言っていました。

 私もそうでした。暮れ正月、隣町に住む娘一家がインフルエンザに罹って、全員ダウンしていました。一昨年のコロナの時は看病に行って私もかかりましたが、今回、暮れ正月を離れてやり過ごしたおかげで、その後病み上がりの娘たちに会っても私たちにまでは菌が届きませんでした。

 というか、とっさんの例を見ていると、とっさんはそれまで何年か罹患していたようですから、抗体ができていたのだろうと思いました。私も以前、インフルエンザで高熱を出して三日三晩寝ていたことがありまして、あれは解熱剤で一度下げてもぶり返すので飲みませんでした。だから、私にも抗体ができていたんだと言っても、娘たちは信じませんが。

 それでも、私も、とっさんの心意気で、『手伝いに行く私まで寝込めない』と思ったのは確かです。咳は出ていましたので、こまめにうがいをして、暖かくし、規則正しく早寝早起きをし、最後は葛根湯も飲みましたが、熱は出ませんでした。

 『無事、これ名馬』という言葉がありますが、私はこれは私の事だと思っています。「私は病気をしないんです」と皆さんにも言っています。この勢いで老化もストップしたいものだと思います。先ずは動脈硬化の予防改善です。そのための運動、食物繊維、温活です。

2024年1月3日水曜日

 アゼルバイジャンの山の中で

 私が食事時にサスペンスドラマを見ていると、娘が嫌がって回してしまう、それがこの『アゼルバイジャンの山の中』のユーチューブ動画です。

 これらは何本かあって、どれも人の手があまり加わらない素晴らしい景色の中で、中年から老年にかけての夫婦や家族がイヌやネコといったペットとともに生活し、家を整え、料理を作り、山仕事に出かけ、畑仕事に出かけ、そこでまた野外料理をするといった日常を映し出したものです。面白くもない日常の労働の動画ですが、それが美しい自然と、アゼルバイジャンという未知の国の人々の生活の流儀と食べものと結びつくと、いかにも新鮮でつい、一、二本は見てしまいます。

 そこに若い人が出てこないのがいかにも自然で、と思って視ているのですが、実際が何歳くらいなのかまったく分かりません。ロシアでの平均寿命が69歳くらいと言っていましたから、ここに出てくる人たちは、見かけより若いのかもしれません。

 で、何が言いたいかというと、ふと思ったのです、ここに住んでいたら、結婚は必ず必要だろうなと。家族や少なくとも家族の思い出なしにこんなところに一人で住んでいたら、どんなに自然が美しくても住み続けることは難しいのでは、いや出来ないと思いました。

 日本や多くの先進国でシングルライフが増えているのは、そこが都市化して、男の仕事、女の仕事の区別が無くなっているせいなのではないかと思いました。一人でも何不自由なく生きていけるのです。たとえば、料理をしたり、暖を取るのに、薪を集める必要はありません。食料を集めるのに、畑を作る必要もないし、家畜を飼う必要もありません。生活は一人ででもできるのです。

 これは幸せなことというべきか、少なくとも老人にとっては幸せなことなのではないかと思いました。

2024年1月1日月曜日

 競争心と虚栄心、人の目

 限られた残りの人生、自分のやりたいことに集中したいのに、集中できないのはなぜか。

 気が散るからです。なぜ気が散るのか。余計なことを考えてしまう。例えば、こんなことをしている自分を、他の人はどう見ているだろうか。ミニマリストが過ぎて、おかしいと思われていないだろうか。特に女性は服装について、私のリフォームに直ぐ気付くだろうなとか。

 それは自分も同じように人の一挙手一投足を見ているからだと気が付いているのですが、身に染みてしまっている人と比較する癖は無意識のうちに出てきてしまって頭を占領してしまうのです。

 原因をいろいろ考えてみたのですが、『私たち団塊の世代は常に競争を強いられてきたから』とか、『人より良く見せたい』とか、競争心とか虚栄心とか呼ばれる、そういうこびりついた考えが剥がそうと思っても剝がれないのです。

 この歳になればわかってはいるのです。今を楽しく生きることが一番大事、今できることを夢中になってする事が満足を与えてくれる、先へ進むのは誰でもない自分だということを。

 若いころから、私は分かっていないで、流されてしまう人間だったけれども、周りには若くしてわかっていた人たちもいたような気がします。そういう人たちは自分の道を切り開けたような気がします。いわゆる、自分の頭で考えて自分の意見を言える人、『地頭のいい人』たちです。